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 Apr 27,2018

■シカゴのテリー・キャス

 私がミュージックライフを初めて買ったのが1971年12月号。ジョン・レノンの表紙でした。

この時代の洋楽は圧倒的にワーナーが強く、レッド・ツェッペリン、CSN&Y、キング・クリムゾン、ローリング・ストーンズ、ELPなどがいました。一方、CBSソニーにはサンタナ、シカゴ、S&G、マウンテンなどがいて、今回はそのシカゴの話です。シカゴはミュージックライフ誌の人気投票でも常にベスト5に入っていたバンドで、'Lowdown'、'Question67&68'には日本のファンのために製作された日本語の歌詞ヴァージョンもありました。

シカゴは元々相当演奏がうまい上にフロントの3人(ロバート・ラム、テリー・キャス、ピーター・セテラ)が全てリードボーカルをとれるというすごいバンドでした。1971年と1972年の来日公演のメンツがシカゴのベストメンバーだと思われ、人気が右上がりという雰囲気も手伝って、素晴らしいステージを行っています(1972年の日本公演はyoutubeに上がっています)。まだステージのインフラが整備されていないこの時代にレコードの2割増しぐらいの演奏ができるということは、個人のポテンシャルが相当高い証拠で、このあたりがレコーディングで一杯一杯のバンドにはできないことなのだと思います。ダニー・セラフィンのドラムもジャズとロックの中間のプレイでスタジオ・プレイヤーのようです。

今にして感じるのは、シカゴはテリー・キャスの存在感が際立っているバンドだったということです。私が一番最初に聞いたシカゴのアルバムは「栄光のシカゴ」という日本独自編集盤だったのですが、一曲目'Introduction'のワイルドなボーカルは実はテリーであったし、大きな手で叩きつけるように弾く強いピッキングや、レスポールでもストラトでも同じようなトーンになる音色や、ジャズのフレーズをジミヘンが弾いているようなソロもなんだか分かりにくかったけれどイギリス系のブルースロックのギターとは明らかに違っていました。アンプもマーシャルやハイワットなどのスタック全盛の時代に見たこともないようなヘッドを使っていたのも印象的でした。まあ、カリスマ的プレイヤーは早世するというのがロック界での定説で、テリー・キャスも例外ではありませんでしたが。

 

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