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 Sep 4,2018

■小澤征爾さんの見たフジタ

 以前何気なく買っておいた小澤征爾さんの対談の本を読んでいて、この人の経歴は藤田嗣治と良く似ているなと感じていたら、藤田との話が出てきて少々驚きました。

小澤氏は海外で評価を得た後に、日本に戻りN饗の指揮者となりますが、トラブルで活動の場を海外に移さざるを得ませんでした。いわば亡命のような形で日本を後にしたという点は、藤田の経歴と重なります。そして、実際にパリで藤田とも交流があったとのこと(ちなみに歳の差は49歳ですから、交流があったのは藤田の晩年でしょう)。おそらく互いに通じるものがあったはずですが、藤田が日本に帰りたがっていたと感じたという証言には今まで伝えられている藤田の印象とはだいぶ違うものを感じます。

戦後、日本の画壇に嫌気がさし、GHQの藤田シンパの協力を得て、ようやくフランスへのビザが取れ、日本を旅立つ時に藤田が満面の笑みをたたえて飛行機のタラップで帽子を振っている写真がありますが、あの笑顔の裏には日本を捨てるという複雑な思いがあったのでしょう。その後、日本国籍を捨て、カトリックに改宗しても、やはり血そのものは変えられなかったということでしょうか。起伏の激しい藤田の生涯で、一番幸せな時はいつだったのだろうなどと考えさせられます。

 

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