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 Apr 15,2019

■小説・田中絹代

 「小説・田中絹代」(新藤兼人 1983年)を読了。

田中絹代さんといえば、我々の世代ではテレビドラマ「前略おふくろさん」のおふくろさん役。ほとんどがナレーションの出演だったと記憶していますが、当時、名前に聞き覚えもあるこの人は一体どんな人なのだろうと思っていました。

時は流れ、昔の日本映画をたくさん観るようになってから、田中絹代さんが戦前から活躍した日本の映画女優のアイコンのひとりだったということがようやく認識できました。つまり、「前略〜」での田中絹代さんは成瀬巳喜男監督の「流れる」の栗島すみ子や大林宜彦監督の「時をかける少女」の入江たか子のように往年のスターをもう一度引っ張り出してきたキャスティングだったと気が付くのです。

日本映画の名作が続々と生まれた1950年代、田中絹代さんはすでに40代。若い女性を演じるにはきつい年齢ですが、それを逆手にとった「西鶴一代女」(1952年)は強く印象に残る作品でした。特におはるが落ちぶれていく後半、白塗りで歳を隠す遊女になり、客がようやく付くのですが、その客は遊ぶのが目的ではなく連れの若い者たちにこのあたりの遊女はこんな化け猫だと教えるのです。そんな屈辱を受けてもお金をもらわなければならない境遇。このシーンに心が動かされるのは、現実の女優の世界とおはるの境遇がシンクロするからでしょうか。不遇の環境に身を落とした女性をこれでもかこれでもかと執拗に描くのが溝口監督の手法ですが、「西鶴〜」はこの時期の田中さんでなければ成立しなかった作品だと思います。

残っているインタビューなどを観ると、田中絹代という人はちょっと高い声で「そうでございますね」とか物腰は大変柔らかい。ところが、垣間見える本心の部分は作品のためには命も投げ出すというような凄みがあります。ある1970年代に活躍した俳優の手記で、有名な監督の作品に出演した際、大人数の馬でのバトルシーンの撮影中、仲間の俳優が大けがをしたのだそうです。ところが監督は撮影を中断せずに、そのまま続行しました。この手記ではそれをひどいことだと批判しているのですが、このあたり、田中さんだったらけがをした当人でも自らカメラを止めるなと言ったような気がしてなりません。おそらく世界と対等に渡り合える高さにある作品の製作は、倫理や人間味とは別の基軸で展開するのだと思います。田中さんが老婆を演じるために差し歯の前歯を数本抜いたという話もこの別の基軸の一端なのでしょう。


 

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