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 May 4,2019

■喜劇と文芸

 日本映画の歴代ベスト10に入るような作品で、「幕末太陽傳」(川島雄三監督 1957年)がなぜ異彩を放つかと言えば、それはあれが基本喜劇だからではないでしょうか。

黒澤明監督の作品も初期は喜劇役者のエノケンが出てるし、「七人の侍」の菊千代もかなりユーモラスなところがありますが、それはまあ本筋に花を添える程度。それに比べて、「幕末太陽傳」での岡田真澄さんや左幸子さんのコメディアン/コメディエンヌぶりといったら吹き出してしまうほどです。

左さんがあの美形でかつ声優さんのような漫画声で、(心中の相手を探している時)「金ちゃんなんてどうせひとりもんだし、ぼんやりでげすだから殺したほうがために・・・」とか、外国人顔にちょんまげの岡田さんが異人館が燃えているのを見て「へへ、うれしいねー。異人館は燃えがいいねー」とか。

あれだけの潤沢な予算で、日活のスターが勢ぞろいの映画の企画なら普通は「忠臣蔵」のような間違いない堅い話をやると思うのですが、川島監督はあえてフランキー堺さんを主役に起用して落語が元のこの企画をやったというのもすごいのです。とかく日本では硬質な文芸ものを有難がり、喜劇は正当な評価を受けない傾向がありますが、そのような既成概念に挑戦した川島雄三監督が今でも異質な存在感を放つのはこのあたりに理由があるのではないでしょうか(今の人で私が好きなのが沖田修一監督なのも川島監督に共通のものがあるからかも)。

そして、不遇の喜劇ばかりではなく、文芸作の対極、あるいはそれより下のランクとされ、今では振り返られることもないプログラムピクチャーや特撮ものというジャンルの隠れた名作や監督も、いつか再評価される日が来ると信じているのです。例えば「大魔神」なんて子供の頃は全然ピンときませんでしたが、今観ると製作者の本気がひしひしと伝わる傑作だと思います。


 

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