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 Dec 18,2019

■1960年代のサブカル

 サブスクではなくサブカルです(笑)。

1960年代後半の日本の音楽シーンで、サブカル的なものをメインストリームに押し上げた第一人者は加藤和彦さんだったと思います。その時代には多数のアングラ的なものも存在していたでしょうが、それを家庭のお茶の間レベルまで浸透させたのが「帰って来たヨッパライ」。

当のご本人もこれがまさか大ヒットすることなど、予想だにせず、ただただ自分たちが面白がって作ったものが最初若者に受け入れられ、その後、不特定の大衆まで届いていったのだと思います。

つまり、この現象がなければ大手のホリプロのような芸能事務所がモップスや井上陽水をやることもなかったと思うし、コテコテの演歌系列レコード会社がフォーク系に食指を伸ばすこともなかったのでしょう。サブカルが商売になることを加藤さんが証明しちゃったのですな。

もうひとつサブカルが変えたことは、それまでの歌手と言えば歌唱力は絶対必要なものでしたが、それよりも訴えるものがあれば歌唱力は2の次になるということではなかったでしょうか。歌唱力よりも優先されるもの、それは詞や曲、サウンドで、そのあたりもコピー全盛だったアマチュアの登竜門といわれたコンテストのあり方そのものを変えたのだと思います。

 

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