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 Dec 26,2019

■婦系図

 泉鏡花について。

鏡花は文体が独特、さらに出てくる語句は明治期のものなので、同じ個所を何度も読み直したり、前後の脈絡で意味を推し量ることもしばしば。ところが、何度も読み返すうちに香ってくる鏡花の世界はなかなか魅力的です。現代では忘れられてしまった日本独自の情緒を知るのも大変面白い。

さて、「婦系図(おんなけいず)」です。このオリジナル本(春陽堂)の装丁が妙子の持参する矢車草であったのも知りました。そして、芸者と同棲し、師の言いつけにより別れさせられるというプロット自体、鏡花が現実で芸妓を落籍し、同棲し、師である尾崎紅葉から叱責を受けたという事実に基づくものであることは言うまでもありません。鏡花は紅葉の死後、この元芸妓のすずと正式に結婚し生涯添い遂げるのですが。

実は「婦系図」の映画などで登場する有名な「別れろ切れろは芸者の時にいう言葉」というセリフは原作に登場しないばかりか、湯島の白梅の別離シーンそのものがありません。これは以下のような事情だったのだそう。鏡花が「婦系図」(1907年)を発表すると、広く舞台で取り上げられるようになり、話題となりました。ところが、後編の交情の場面が検閲に引っかかり、主税の復讐劇という面が影をひそめ、前半のお蔦との別れが物語のクライマックスになったのだそうです。そこで新たに鏡花が別れのシーンを書いたのが「湯島の白梅」(1914年)という戯曲。そこにこのセリフが登場したのでした。いわばスピンオフが原作よりも有名になってしまったというわけです。

ところが、原作はこのようなお涙頂戴のメロドラマだけでは終わりません。後半でがらりとトーンが変わり、映画ではあまり取り上げられることのない主税の壮絶な復讐劇が始まるのです。河野家は家柄や階級、権威や封建的なものの象徴、主税が潰したいのはこのようなもので、それは執拗に生々しく描かれます。主税対河野一族の壮絶なバトルは、権威側の人間だと思っていた主税の意外な出自の披歴とともに、悲劇的な結末を迎え、終了します。

ちなみに、「婦系図」の最後の遺書の項、実在のモデルになった一家に対しての配慮から付け加えられたもので、初出時はなかったということです。これからお読みになる方はこの部分はないものとして読んだ方がよろしいかと。

 

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