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 Mar 6,2020

■「世界大戦争」に見る無常観

 東宝の特撮映画で「世界大戦争」(1961年)という映画があります。あらすじは以下のようなもの。

対立する2国間で核戦争の危機が何度も訪れるが、なんとかぎりぎりで回避しているような世界。日本もどちらかの陣営なので攻撃の対象外ではない。そこで市井の人々の生活。タクシー運転手の父(フランキー堺)、その病弱な妻(乙羽信子)、娘(星由里子)、その娘の船員の恋人(宝田明)。父親は戦争が起こらないことを信じているが、事態は悪い方に進み、いつミサイルが落ちてくるか分からないような状況になる。そのような中で、両親は船員の恋人が出航する前日、娘が恋人と一夜を共にすることを許す。恋人が出航した後に日本にも核ミサイルが落ち、日本は壊滅する。

この映画、子供の頃に観たら軽いトラウマになるだろうと思うのですが、特撮ものとはいえ完全に大人向きの内容です。私は幸い、大人になってから観ましたが、最初観た時に、うわ、最後投げっぱなしで終わりかよと思いました。それと同時になにかすごく心に響く日本的なものを感じたのですよ。つまり、特撮という衣を着て、冷戦時代の映画特有の戦争反対という定型の展開(最後のテロップが残念)はあるものの、コアなテーマはそこではなく、それ以上に心にずっしりと残るものがあると観るたびに思っていたのです。そして、後にこの心に残るものの正体が諦念とか仏教の無常感とか方丈記的なものではないのかと気付くのです。ゆく河の流れは絶えずして・・っていうやつですね。つまり、なにもかも決して変化しないものはなく、栄えもすれば衰えもするというのは世の常ってことです。そういえば、船に乗っていて生き残る炊事長が笠智衆で、これが後から思い出すとお坊さんの服を着ていた?と思うぐらいお坊さんの印象なのです。

 

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