■TEXT

 Apr 1,2020

■小説家の虚と実

 そもそも小説とは創作なのですから、作者の実際の経験が反映されているにしても、当然、脚色や改変は入るわけで、それを読者が実際にあったことだと思うのは勝手な思い込みです。

最近、野坂昭如氏の作品をよく読んでいますが、「火垂るの墓」での創作部分についてはかなり罪の意識を持たれていたようで、「いかにも自分の体験に基づいているかの如く文字を連ね、大嘘である、自己弁護とまでは考えないが、卑しい心根に基づくフィクション、どう嘘をついてもかまわない特権はあるのかもしれないが、この嘘はいかがわしい、小説家にさえ、これは許されないような気がする」と「文壇」で告白しています。

鮮明な実体験があり、実はそんなにきれいごとではなかったという部分が野坂氏に罪の意識を持たせるのだと思うのですが、ことに血を分けた人間が死ぬことを描けば、たとえ本当のことを描いたとしても、あるいはどのような脚色をしてもあまりに生々しく、納得いく形にはならないような気もします。しかも、おそらく贖罪から生まれた本作が野坂氏の出世作になったというパラドックス。これがさらに罪の意識を膨らませたことは想像に難くありません。

虚にしろ実にしろ自分の傷をさらに広げるとの自覚がありながら、書かざるを得なかった題材。作品とはその表層にあるものの何倍もの背景が息をひそめて隠れていることを痛感するのです。

 

■■■■■■■■ kishi masayuki on the web


<<   TEXT MENU   >>

HOME