■TEXT

 May 13,2020

■パンドラの箱

 谷崎潤一郎の代表作「細雪」が発表された戦時中、内容が戦時にそぐわないという理由で当局が掲載禁止にしました。それでも谷崎は書き続け、私家版として上巻を上梓します。

私家版というのは、様々な事情で作家自らが出版社を通さずに世に出す限定数の非売品で、市場には流通せず、ごく限られた人たちのみに配布される本のことです。今、普通に入手できる「細雪」も戦中は私家版でしか読めなかった「幻の」作品ということになります。

音楽の世界では未発表の音源や映像を権利者の許諾なしに発売する海賊盤というものがありますが、海賊版は多くの場合、創作者本人が世に出したくなかったアイテムを第三者が金銭目的で流布させるものであるのに対し、小説の私家版は時代や当局の事情でお蔵入りになるわけで、作品そのものは決して作家がボツにしたのではなく、むしろ自腹を切ってでも世に出したいという芸術的欲求が先行している点で正反対の存在なのだと思います。

それにしても、「未発表」、「限定」、「変名作品」などの言葉が付くと、なんでこうも食指が動くのでしょう。駄目だと言われれば、その閉ざされた扉の向こう側をのぞきたくなるのが人間の性なのでしょうか。そういえば、その昔、'LS Bumblebee'という曲がビートルズの変名作品ではないかと広く信じられていた時代がありました。おそらく最初はブート業者が確信犯で仕立てたイカサマネタだったと思われますが、ファンのほうもこれがビートルズの未発表曲だったら面白いのにという願望が確かにあり、虚実の検証は保留し、未発表曲なのだと仮想して楽しんでいたような気がします。

 

■■■■■■■■ kishi masayuki on the web


<<   TEXT MENU   >>

HOME