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 Jun 7,2020

■追悼・アラン・メリル

 ジャズ好きの方なら、ヘレン・メリルがノイマンの大きなマイクに向かって歌っているジャケットのアルバムを覚えているかもしれません。そのヘレン・メリルのご子息がアラン・メリルです。

1960年代の末期から日本で活動していたアランは、当時の日本のミュージック・シーンの中でも世界的な流行をいちはやく取り入れたことをやっており、日本で言うなら加藤和彦さん、かまやつさん、はっぴいえんどなどと同じカテゴリーにいた人だったと思います。渡辺プロに所属していたために、その界隈の人たちとの付き合いも多く、GSのピックアップメンバーでピッグが結成された時にも綴りがPIGではあんまりなのでPYGに変えさせたのもアランだったと聞いたことがあります。

私がアランを最初に観たのはたぶんテレビ番組「リブヤング」で、ウォッカコリンズとしての出演だったと思います。1973年ぐらいだったのでしょうか、グラムロックが流行っていて、メンバーもロンドンブーツにラメのジャケットみたいなコスチュームだったかと。当時はまだ日本のロックの方向性などは暗中模索状態。あまりに商業的であったGSの揺り返しとしてそれまでの枠をはみだした実験的なバンドでもプロとして活動できる土壌のあったのかもしれません。

その後、渡英、アローズを結成し1975年にリリースした'I Love Rock'n Roll'を1980年代にジョーン・ジェットがカバー、そのシングルが全米1位となったのは有名なストーリー。アローズ時代のアランのPVを観ると、ルックスはデヴィッド・キャシディみたいな甘い感じですが、声はそのルックスに似合わないロック声です。ちなみにこのイギリスで撮影されたPV、最後の方になぜかかまやつさんがメンバーとともに写っています。

母親のヘレンは大の親日家で、日本人のジャズ・ミュージシャンともアルバムを残していますが、アランも相当な親日家、2000年代にもウォッカコリンズを再結成して日本で活動するなど折に触れてその元気な姿を見せていました。このように日本のロック黎明期に卓越したセンスで我々に上質のロックを見せてくれたアラン・メリルさんもこの3月に鬼籍に入られました。近年、子供の頃に見ていたGSからニューロックに至るこのような方々が次々に物故されているのは寂しい限り。2004年に封切られたゴールデンカップスの映画「ワンモアタイム」公開時、メンバーの舞台挨拶見たさに本牧まで行きましたが、この映画に出演していたミュージシャンのほぼ半数がすでにこの世にいないというのは信じられない思いです。


 

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