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 Sep 15,2020

■ロンドンポップの時代

 グラムロックやらロンドンポップの服が流行ったのは1973年ごろであったか。イギリスのミュージシャンたちがかかとの高いロンドンブーツやラメ、サテンの服などを着たのがルーツだったと思う。

例えばアイビーやトラッドなんていう服装はきちんとしているので大人たちはそれほど目くじらを立てることはなかったと思うのだが、ロンドンポップは大人の世代にはとても理解されないものであった。私が中学生の頃にこんなことがあった。

東京の中高一貫校は髪型や服装に寛容な学校も多く、例えば友人やそのお兄さんなどがいた麻布や駒場東邦などはウルフカットのような長髪も自由だったし、制服を仕立て直してベルボトム風にする強者もいたと聞いた。体育祭に行けば、体操服をタイダイ(絞り染め)にしてる人もいたと思う。そのいでたちで長髪の彼らが棒倒しなどをやるのだから、それはまるでヒッピーの暴動のようであった。余談だが、当時はまだ学生運動の余波が残っており、立て看板のようなものを文化祭で見た記憶もある(駒場東邦の隣に警視庁第三機動隊の本部があるのは嘘のような本当の話)。

ある日、そのような学校に通う友達のお兄さんがうちへ遊びにきた日の事。そのお兄さんは高2ぐらいだったと思うのだが、肩まで届く長髪にサテンのジャケット、ロンドンブーツというフル装備のいでたちで現れた。東京の中心部あたりではおしゃれで通るそのような恰好も、片田舎の横浜では大変浮いたものであり、特にうちの母親などはひどく驚いたことは言うまでもない。

そういえば、渋谷だか四谷だかに「エスエー」というロンドンブーツの有名店があることもそのお兄さんに聞いたのだった。東京の情報は横浜よりはるかに先を行っていた。結局、こちらが服装に色気付く歳になった時にはロンドンブーツの流行は収束していたのでこの店に行くことはなかったが。

私が大学生の頃の服装はサーファーのようなものが主流であったが、そのころ、東京出身の友人にロンドンポップをやったことある?聞くと、「のようなもの」はやったと言う。どんな格好していた?と聞いたら、ヨレヨレのブラウスのような服に自分で「梵語を書いて」着ていたという。それはロンドンポップじゃなくて、サイケデリックとかヒッピーじゃないの?と言うと友人は大人たちが眉を顰めるような服ならなんでもよかったんだと言った。

 

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