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 Nov 1,2020

■モスラとエピタフの間

 1950年代から日本の歌謡曲では外国曲をカバーしてレコードを出すというケースがありました。

カバーされた曲はジャズ、カントリー、ラテン、ポップス、ロックンロール、ソウル、カンツォーネ、シャンソンなど幅広いものでしたが、1970年代に入ってからも「ビューティフル・サンデー」(田中星児)、「ヤングマン」(西城秀樹)、「フィーリング」(ハイ・ファイ・セット)のように日本語歌詞をつけてヒットする曲がありました。そのような中でザ・ピーナッツが1972年にカバーした「エピタフ」はかなり異彩を放っていました。

「エピタフ」はキング・クリムゾンのアルバム「クリムゾン・キングの宮殿」(1969年)に収録されていた曲。このアルバムの1曲目を聴けば分かるように、万人に分かりやすいものとは決して言えません。「ヤングマン」の元曲「YMCA」が誰にでも分かりやすく親しみの湧く絵画だとするなら、「エピタフ」はいうなれば真逆の抽象画、人々それぞれに異なる感情を喚起させるような曲。分かりやすい絵画を模写するのはありがちですが、ダリのような抽象画を模写する人はあまりいないでしょう。「エピタフ」のカバーに感じるのはそのような意外性です。

1972年という時代を考えれば、おそらくピーナッツもそれまでのイメージを払拭するような歌を取り上げたかったのかもしれません。それとも無邪気で陽気な1960年代の揺り返しだったのでしょうか。このカバーが収録されているのは「ザ・ピーナッツ・オン・ステージ」というアルバムですが、なんとオープニングがユーライア・ヒープの「対自核」です。そこから歌謡曲を挟み、「エピタフ」が出てきます。「ウナ・セラ・ディ東京」と「エピタフ」が同列に置いてあるという日本の歌謡界のカオス感にも驚きますが、ピーナッツが歌うと「エピタフ」のメロディも歌謡曲と案外親和性があるのにさらに驚くのです。

ピーナッツ自身も出演し歌った映画「モスラ」での「モスラの歌」から10年あまりでキング・クリムゾンにたどり着くとは、芸能界の変遷はなんと劇的なのでしょう。


 

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