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 Nov 25,2020

■三島と映画

 最近、メディアでよく三島由紀夫の名前を目にするようになったのはなぜだろうと思ったら、本日が没後50年だからということらしい。

昨日、読み終えた林芙美子の「放浪記」があまりに負のパワーが強く、読後に悶々としたので、一度、三島に行ってから次へ進もうと思い、読み直しているのが「三島由紀夫映画論集成」。

この本は三島が映画に関して述べた発言や文章を年代順に一冊にまとめたもの。谷崎の時代から先見の明のある文士は映画に関心を持って深入りしていくわけですが、三島に至っては複数の出演作はあるわ、最終的に監督や脚本、主演までやって自分で映画を作ってしまうということまでやっています。

この本で印象的なのは、三島は日本映画に関しては大変冷淡な意見しか述べていないということ。溝口、小津への言及はほとんどなく、黒澤に至っては「中学生並みの思想」(1968年1月大島渚との対談)とばっさり切り捨てています。では、1968年の時点で三島はどんな映画が好きかと言えば、それは東映の任侠映画で、特に鶴田浩二が好きだとのこと。意外な気もするし、晩年の三島らしいと思ったりもします。ちなみに市ヶ谷へ向かう最後の日に三島が車の中で「唐獅子牡丹」を歌ったというのは有名な話。

三島の作品が原作になっている映画もずいぶん観たけれども、なにかぴんとこない映画のほうが多かったのです。青山京子の「潮騒」(1954年)や竹内結子の「春の雪」(2005年)はよく覚えているけれど、三島自身が高評価をしている「炎上」や「愛の渇き」などはなにか違うという感。思うに三島作品は文章で完結しているので、それを第三者の解釈が入る新たな映像として見せられると、違和感が生まれるのではないかと。それほど三島作品は読んだ後に十人十色の感じ方が生まれるということではないかと思います。

 

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