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 Feb 4,2021

■写楽道行

 「写楽道行」(1986年)はフランキー堺さんの小説。フランキーさんはこの本の9年後に念願の映画「写楽」を作りましたが、この本はその映画のための脚本の第一稿という感じでしょうか。実際の映画ではフランキーさんは写楽ではなく蔦屋を演じたので、筋書は全く異なるものとなりましたが。

登場人物は一応仮名やイニシャルになってはいますが、日本映画ファンならだいたい誰か見当がつきます。たとえば、鮒木栄はもちろんフランキーさん、大沢はたぶん小沢昭一さん、U・K監督は川島雄三監督、T・U監督は内田吐夢監督という具合です。

小説なので当然フィクションですが、物語がまだ寛政の時代に行く前の回想のような部分、はっきりと作品名を「幕末太陽伝」と挙げて記してある挿話はおそらく本当の話ではないかと。「幕末太陽伝」撮影中の次のような話が書いてあるのです。佐平治が煎じ薬をとっくりから平皿に移しながら長セリフを言い、その間に女郎から小突かれ、煎じ薬は一滴もこぼさず、また続けて平然とセリフを言うシーン。ここで監督が新たな要求をしました。それは煎じ薬をつぎ口のない平皿からとっくりへ入れろというのです。もちろんセリフや小突きはそのままで。困難を極めたこのシーンはその日には撮れず、翌日、ようやく成功したとあります。

これを読んで、もう一度「幕末太陽伝」をじっくり観直してみました。そのシーンはおそらく16:55からの若衆の岡田真澄さんが佐平治にたまった料金を請求するところに女郎の左幸子さんが入ってくるというシーンだと思われますが、とっくりと平皿(浅い鍋)はあるものの、薬をどちらかに移すというシーンは出てきません。本にはこの時のことが今でも夢に出てくるとあることから、とても作り話とは思えません。編集の段階でカットされ、別テイクが採用になったということなのでしょうか。

そのような目でもう一度このシーンを見ると、若衆が入ってくる前に佐平治は薬を袋から出し浅い鍋で煎じます。その後、若衆との長セリフがあり、女郎が入ってきます。床の支度をする女郎を断り、佐平治が胸の病気だと説明。その間に佐平治は袋から新たに粉薬を取り出し飲みます。女郎が怒り、小突かれ、その粉薬を吹き出すという順番。女郎が出て行った後、最初の煎じた方の薬をどんぶりに移し飲むのです。もしかすると女郎ともめてる間に、煎じた薬を浅い鍋からとっくりに移すという離れ業のような別テイクもあったのではと思うのです。

メイキングとかNG集とかいうものがあれば、それらも残ったのでしょうが、当時は使わなかったテイクのフィルムは残して置く理由もないので、多くの苦労して撮ったシーンが破棄されたと思われます。いくら苦労して撮ったシーンであっても、大局でいらないと思えばばっさりと切るのが監督の仕事。そのあたり、演者と監督では見えている景色が違うということなのでしょう。いつの日かどこかの倉庫や個人宅から本編で使われなかったフィルムが大量に出てきましたなんてことがあると面白いのですが。

 

 
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