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 Jul 22,2021

■1980年代スタジオミュージシャン事情

 1980年代に比べると、現在はレコーディング方法そのものが大きく変わったので、広いスタジオに実際にミュージシャンを呼んでセーノで演奏するという形式は激減したと思います。その流れで都内の老舗スタジオも閉業したところが少なくありません。

うまいミュージシャンには仕事が集中するので、1980年代、一線の人たちは一日に信じられないような本数をこなしていたはずです。ドラムの人などはセッティングに時間がかかるので、同じセットを2セット持っていて、最初のスタジオで演奏している時にローディが次のスタジオへ先に行ってドラムをセットして待っていたなんていうこともあったと聞きました。

また、ギターの人ではトラブルのために大がかりなアウトボード(エフェクター)の全く同じセットを2セット用意していた人もいましたし、ギターは一日5本ぐらいの仕事をこなすと、最後のセッションでは左手がもうぼろぼろになってくるのだそうで、仕方なくボトルネックを使ったスライド奏法で凌いだなどという話もあります。

ある売れっ子スタジオミュージシャンの結婚パーティでは招待されたのはほとんどが一線で活躍するミュージシャンだったので、そのパーティの間だけ日本のレコーディングが一時中断したという話までありました。

そのような状況ですから、スタジオに入ってくる時は一様にお疲れで口数も少なく、テンションが異様に低いミュージシャンが多かったのです。午後イチの仕事だと最初の1時間は出前をとってランチタイムなんてことも頻繁にありました。それでも演奏が始まればうまいし、早いので高いスタジオでのランチも売れっ子の彼らだけに許された特権でした。

一方、とげとげしい話もあり、あるギターの人はディレクターに「もっとルカサーみたいに弾いてよ」と軽く言われ、買い言葉で「じゃあ、ルカサーを呼んでくれば」とその場で帰ったという人もいたらしいです。私も誰かの不用意な一言でスタジオの雰囲気がいきなり険悪になった状況は経験があります。

駆け出しの頃の私にとってはそんなミュージシャン方は全員が年上で、好きなレコードなどのクレジットで名前を知っている方々も多かったので、とにかく怖気づきました。けれど、後になってそんなミュージシャンに話を聞くと、彼らも最初スタジオに入ってきて、全然知らない顔のミュージシャンと演奏するのは怖かったと聞いて少々安心しました。


 

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