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 Nov 1,2021

■「イエロー・サブマリン音頭」考

 「イエロー・サブマリン音頭」は金沢明子さんの1984年のシングル。大瀧詠一さんがプロデュースしたことで有名です。

元々、企画が先にあったということですが、いかにもコミックソングという歌手はまずいということで、最終的に正統派民謡歌手の金沢さんに決まったのだそう。

この編曲を担当したのがクレイジーキャッツの作編曲で有名な萩原哲晶さん。イントロからして「遺憾に存じます」のパロディ、ブラスのぶつけ方、トロンボーンのポルタメントなど随所に往年のクレイジーメソッドが組み込まれています。久々にこの曲を聴いて思ったことは、まず、レコーディングにお金がかかっているなということと、ビートルズの"All You Need Is Love"も「和訳」すればこんな音作りになるのではと思いました。

現在では大瀧詠一さんといえば「ロング・バケーション」(1981年)という見解が一般的ですが、私見ではたまたまあの時代にやりたかった音楽の傾向が時代と重なってあのアルバムがヒットしたということに過ぎなかったと思います。大瀧さんの中ではあのアルバムは自分のやりたいことの一部で、アルバムが出た頃には次へと関心が移っていて、その中のひとつが萩原哲晶さんとのコラボでビートルズをやるという企画であったという気がします。誤解を恐れずに言えば、そもそもピンポイントの分野を深く掘り下げる人なので、最大公約数の大衆の関心とはややずれた軸で生きた人だったのではないかと(同じような雰囲気を杉真理さんにも感じます)。そういう意味では「風立ちぬ」や「冬のリヴィエラ」よりも「イエロー・サブマリン音頭」の方が本来の大瀧さんの嗜好が色濃く現れているのではないでしょうか。

ちなみに私が大瀧さんのアルバムで一番よく聴いたのはコロムビア時代の「ナイアガラ・カレンダー」(1977年)。あのアルバムを聴くと、大瀧さんがスパイク・ジョーンズ、フランキー堺とシティ・スリッカーズやクレイジーキャッツにつながることをやりたがっていたことがよく分かるのですが、このアルバムにはすでに音頭が入っていました。wikiによれば、あのアルバムの売り上げが不振で、コロムビアとの契約を打ち切られたとありますが、大瀧さんにとって「イエロー・サブマリン音頭」は不遇だったコロムビア時代のリターンマッチだったのかもしれません。


 

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