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 Mar 23,2022

■ポンタさんの思い出

 ドラマーの村上"ポンタ"秀一さんが亡くなってからもう1年ですが、ポンタさんのプレイを初めてスタジオで見たのは1981年ごろだったと思います。スタジオはたぶん音響ハウス。

当時、私の中でスタジオ・ドラマーとしてインプットされていたのは林立夫さん、高橋幸宏さん、そしてポンタさんで、その中でもポンタさんはそのセッション数の多さからもまさにキング・オブ・スタジオドラマーという体でした。印象から言えば、ポンタさんはいわゆる昔気質の破天荒なバンドマンという感じでとにかく怖かった(笑)。ちなみにジャズ出身のスタジオ・プレイヤーにも独特のワイルド・オーラを醸し出している方は少なからずおりました。

で、セッションが始まりました。通常、レコーディングではドンカマといってテンポのガイドのクリックと同時に録音しますが、驚いたのはポンタさんの演奏はこのガイドと微妙にずれていくのです。まだ、ほとんど現場の経験のなかった私でしたが、今起こっていることは重要なことだと直感しました。そして、これは今だから分かるのですが、同時に録っている仮歌を聴いて、故意にテンポを上げたり、下げたり微調整していたのです。これはヴォーカルや曲全体を引き立たせるためのポンタさんならではの技でした。

今、その音源を聴き直してみると、マシンでは出せないタイム感とともに随所にポンタさんらしいプレイがちりばめられていて、こんな細かいことをやっていたんだと再認識しました。そして、ファーストコールのスタジオ・プレイヤーはここまで掘り下げてプレイするのかと。それはテクニックはもちろんですが、それ以上に譜面上では表せないその歌の持っている世界の広げ方や解釈といった感性の部分でのアプローチであったのだと思います。逆を言えば、譜面に表せない何かをストレスなく表現するためにテクニックや最高の楽器が必要だということなのだと思います。

何もかもてんぱっていて、とにかく周りに迷惑をかけずに仕上げようとしていた若い頃に、ポンタさんのようなレジェンドと仕事をご一緒できたことは私のその後の音楽への向き合い方に少なからず影響を与えたと思います。

(写真はポンタさんのアルバム「東京フュージョンナイト」1978年。私がリアルタイムで買った数少ないフュージョン系のアルバムです)

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