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 Jun 17,2023

■フジタが日本を捨てた理由

 藤田嗣治が戦後、日本を捨てた理由は今まで言われてきた通り、仲間の裏切りや、日本の画壇の足の引っ張り合いに嫌気がさしたからで間違いないのですが、さらにその前後のディテイルとしてフジタが自ら記した文章が残っています。

「藤田嗣治芸術試論」の中で、感情をあまり表に出さないフジタがめずらしく感情的に語っているのは、フジタの甥であり、「小説 藤田嗣治」を書いた蘆原英了に対しての憤り(同書 P299)と、やはり戦中、戦後の話。

戦争が終わると、今まで仲間だと思っていた同業者が手のひらを返したように裏切り、足を引っ張るようになったという話は知っていましたが、供出令で戦中にフジタが持っていた価値のある宝石や着物の類をほとんどすべて国に供出したという話(同書 P375)は初耳でした。これが後の君代夫人の根の深い日本への不審となったことは想像に難くありません。

また、戦後の渡米の際、その便宜を図ったのがGHQでフジタの名を知っていた米軍人という話は読んだことがありましたが、別の米軍人は勝手にフジタの絵を持ち出して、アメリカで個展をやって売りさばき、私腹を肥やしていたという話(同書 P375)も初めて知りました。戦後、手のひらを返したフジタの周りの日本人に対して、アメリカの上級軍人はフジタにフェアに接したというのが通説でしたが、その中にはこのような欲深い米軍人もおり、美談のような話だけではないということだけは覚えて置いて良いかもしれません。


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