■マリリン・モンロー・ノー・リターン
野坂昭如の「卑怯者の思想」を読了。学生運動が過激さを増した1969年に書かれたこのエッセイ、目の前で機動隊と学生の激しい攻防を見て、学生を擁護するような事を書きながら、結局、その恐ろしさに何もできない自分を卑怯者と呼ぶのです。
それにしても、この本で繰り返し語られる日本の未来はもうないという悲観的な見方はまるで野坂の歌った「マリリン・モンロー・ノー・リターン」の歌詞のようです。私も1970年代初頭の学校で教師から再三説かれた、君たちが大人になるころには石油は枯渇しているとか、公害問題は今以上に広がるという、悲観的な未来への見解はよく覚えています。いや、野坂や教師だけではなく、1970年前後は世の中全体に成長期の1960年代の揺り返しやそれまでの価値観の逆転が起こり、不安感の蔓延した時代だったような気がします。この時期の日本映画にしても、公害怪獣が出て来たり、若大将はサラリーマンになって挫折を味わったり、それまでの単純な勧善懲悪やヒーロー像は影を潜め、前向きな人生を肯定するような表現が共感を呼ぶものではなくなった時代だったのかもしれません。
ところが、あれから半世紀経って、石油は枯渇していないし、この世が終わる気配もありません。今、言われているのはオゾン層の破壊とか温暖化ですが、電気自動車や太陽光発電の勢いもかつてほどではないような。人間というのはいつの時代でもなにか悩みの種を探し出し、強迫観念を持っていないと気が済まない生き物なのかなとも思ってしまうのです。
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