■花影
川島雄三監督は私の好きな映画監督のひとりです。先日観た川島監督の「花影」(1961年)という作品は、実在の銀座のホステス坂本睦子を軸にした物語。この睦子に関しては、文壇を話題としたエッセイのような文章でたびたび見る名前でした。wikiによれば彼女周辺で登場する文士は直木三十五、菊池寛、坂口安吾、中原中也、小林秀雄などなど。
原作はこの睦子を愛人にしていた大岡昇平が彼女の死後に書いた同名小説で、映画では睦子を池内淳子が演じ、青山二郎を演じているのは佐野周二です。
睦子の後見人だった青山二郎に関して、映画では金を借りまくったり、詐欺まがいのことをする人物として描かれていますが、青山を師匠と仰いでいた白洲正子や宇野千代に言わせれば全く異なる見解もあり、睦子という人物をからめて語る時にそれぞれの強いバイアスがかかっていることは間違いありません。
宇野千代が睦子について書いた文章。
色の白い、小柄な女性で、瞳の吃驚するほど大きなことを除いては、どこと言って、人の印象に残らないような顔をしているのに、一ぺん会ったら、忘れられない、一種言い難い魅力のある女であった。そのとき彼女は酒に酔っていた。「宇野さん、あたし、あなたがこの爪を剥がせと言えば、すぐ剥がすわよ。ほれ、この通り、」と言って、きれいな形のその手の指を片手で持って、「止めて、」ととめなければ、いまにも剥がしそうにする。そういう衝動的な彼女の動作は、決して芝居とは思われない。この女は、私が止めなければこんな危ないことをする、と言う、或るさし迫った気持ちを相手に抱かせる。女である私がそんな気になったのであるから、相手が男であったら、どんな気になるものか。(宇野千代 「青山二郎の話」より)
白洲正子が睦子について書いた文章。
彼女は子供のころ、白っ子とからかわれたほど色が白く、美しかったという。『花影』では化粧に浮身をやつしたように書いてあるが、四十になっても白粉っけ一つなく、髪はいつもひっつめで、口紅もつけてはいなかった。美人というものは、人によってそれぞれ好みは違うと思うが、むうちゃんは、李朝の白磁のように物寂しく、静かで、楚々とした美女であった。若い頃の写真を見たことがあるが、私にいわせれば年をとってからの方がはるかに魅力があったように思う。(白洲正子 「いまなぜ青山二郎なのか」より)
いずれにしても、魔性を持ち、奔放な女性の周りには男が群がるという構図は、その男が文壇の重鎮であろうが、名士であろうが関係ないということなのでしょうか。文士などと言えば、世間からは先生と呼ばれ、いかにも分別がありそうな感じですが、私生活を知ると、現代のおぢもびっくりなことをなさる方も決して少なくないようで。
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