■映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」
加藤和彦さんのドキュメンタリー映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」を公開初日に観てきました。
残念ながら、私は加藤さんご本人にお目にかかったことはありませんが、加藤さんに直接関わった多くの方にお話を聞く機会もあり、特に1970年代前半のエピソードはエキサイティングで面白いです。
この映画にも登場されていましたが、清水信之さんと初めて仕事をした1982年のこと。そのスタジオには清水さんが加藤さんから借りたギターが多数置いてあり、その中にはラウンドエッジでナチュラルのリッケンバッカー12弦や黒のレスポールがあったと記憶しています。
もしかすると加藤さんが「帰ってきたヨッパライ」で、歌謡曲の対極にあるような音楽もビジネスとして成り立つということを証明しなかったら、その後のロックも、ニューミュージックと呼ばれる分野もこれほど日本で商品化されず、市民権を得なかったのかもしれません。
また、加藤さんが職業作家のスタンスと決定的に異なる点は、自分のやりたい音楽を、欲求に忠実に作るという点で、そこには優先順位の一番上に売れるものを作るという条件がないのだと思います。また、そういうことを大金を出して自由にやらせてくれたレコード会社もふところが深かったのでしょう。
私がSSW時代に、これがやりたいといえば、その無理が通った下地には加藤さんの作ったレールがあったのだと思います。加藤さんの活動初期にはアルバムの曲順までレコード会社が決めていたそうで、私の時代には当たり前だったことが、いかに先達の尽力によって勝ち取っていったものだったかを痛感しました。
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