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 Aug 27,2024

■ゴジラ(1954年)が特別な理由

 私の子供の頃は、怪獣映画がブームの時代でした。誕生日会などをやるとプレゼントも怪獣のプラモデルやソフビのフィギュアが多かったと思います。

怪獣映画も初期の深刻なテーマから離れ、子供の人気が出てくるとあの恐ろしかったゴジラがシェー(*注1)をするところまでキャラ変を遂げ、アミューズメント色が強いものになって行きました。私は怪獣映画が子供向きに作られるようになってからは、一気にその熱が醒めてしまったのですが、子供でも大人に向けて真剣に作っているものとそうでないものとの差は明確に分かりました。

初代ゴジラの頃は、私は生まれていませんので、おそらく初めて観たのはテレビの放送だったと思います。怪獣が総出演で暴れまわるその後のカラーの怪獣映画とは全く異なる暗いトーンや全体をおおう湿った雰囲気に相当異質なものを感じたのはよく覚えています。

特によく覚えているのはゴジラが街を破壊している最中に子供を抱きかかえた母親がうずくまり、「もうすぐお父様のところへ行くのよ」と言うシーン。お父様はおそらく大戦で戦死したのだと思われ、この母親はその未亡人で、この映画がリアルな戦争の傷を引きずっていることが伺えるのです。さらにテレビ塔の上でゴジラが街を破壊する模様を実況中継するアナウンサーは、身の危険が迫っても避難することなく、最後に「みなさん、さようなら」と言い、職務に殉じてゆきます。このあたりは「死んでもラッパを離しませんでした」(*注2)という話を思い出します。

また、ゴジラに破壊され火の海となる街を背景に大人や子供が「ちくしょう、ちくしょう」と言い、そこに防衛隊の日の丸をつけたジェット機(*注3)がゴジラを攻撃し始めると、観衆が声援を送るというシーン。これなどはそのままゴジラがB29で、それを迎撃しようとする日本軍戦闘機の構図ではないですか(ちなみにこの映画が撮影された時点では日本ではまだ自衛隊は発足しておらず、賛助として海上保安庁の名前があるのみ)。

言うまでもなく、この映画は子供が観ることは想定しておらず、ゆえに子供がわくわくするような設定がないのです。小松崎茂(*注4)が描いたような空飛ぶ円盤も光線銃も登場しません。子供向けでないなら、物語は大人に向けたものとなり、それはまだ生々しい記憶として残る戦時下の空襲に耐える人々のような容赦ない現実を描くために、恐ろしくすさんだ描写になったのでしょう。このあたりは1952年にようやく日本が独立国となり、米占領軍のメディアへの検閲が終了したことと無縁ではないと思います。その証拠には、独立の翌年あたりから「ひろしま」や「生きものの記録」のようなストレートな核批判の映画が堰をを切ったように作られ始めたからです。一方、「ゴジラ」の中で被災した人々や破壊された街の描写がまるで広島を思い起こさせるように悲劇的でありながら、それほどゴジラに対して憎しみの感情が湧かないのは、ゴジラもまた核実験で眠りを覚まされた被害者であるからで、最後に海に沈んでいくゴジラに同情の気持ちさえ起こるのはそのせいです。

で、ここで考えるのです。この映画の本当のテーマはなんなのだろうと。私は芹沢博士が重要な鍵ではないかと思うのです。芹沢博士は先の大戦で片目を失っており、いわば戦争の影を色濃く引きずった死に遅れた人で、最後に新兵器を抱えながら自らを犠牲にしゴジラと死を共にします。美しい自己犠牲というよりは、芹沢博士は自らの戦争をここで終わらせたかったのだと思います。芹沢博士の感情にも失った片目と同様の欠けた部分があり、それは死ぬことでしか埋めることはできなかったのです。

もっと言うなら異形として出現したゴジラは、戦争が終わり身の置き場所のない隻眼の芹沢博士の分身だったのかもしれません。このシーンでは芹沢博士が海底からアプレ(*注5)の宝田にかつての恋人をまかせるメッセージが送りますが、本当は芹沢博士にとってはこれは末節なことにすぎず、ああ、やっと自分の戦争を終わらせることができるという安堵の中で晴れやかな気持ちだったはずです(終始、暗い表情の芹沢博士が快活な表情を見せたのはこの海底からメッセージを送った時だけです)。唯一気がかりだったかつての恋人の将来の幸福が補償されたのなら、芹沢博士にとって死なない理由はどこにもないというわけです。

芹沢博士は自らの戦争を、核が作り出した異形のゴジラとともに海に沈めるというこのラストシーンがカタルシスを起こさせずに、なにか後ろ髪を引かれるようなすさんだ気持ちになるのは、そこに決して清算されることのない先の大戦の暗く、湿った、痛ましい、後ろ向きの怨念のような感情(傷痍軍人という言葉の響きのような)が湧き上がってくるからではないでしょうか。それはこの時代の映画にありがちな説教めいた戦争反対のメッセージとは異なる静かさで心に訴えてくるのです。

                                
*注1: 1960年代、「少年サンデー」に連載されていた「おそ松くん」に登場するキャラ、イヤミが驚いた時に行うポーズ。来日したビートルズのジョン・レノンもシェーをした写真が残っている。

*注2: 日清戦争で戦死したラッパ手の日本帝国兵士の逸話。美談として修身の教科書にも掲載された。

*注3: 1950年代、航空自衛隊にアメリカから供与されたF86戦闘機。通称はセイバー。ノーズにエアーインテークのある独特の機体を持つ。映画「ラドン」、「地球防衛軍」などにも登場する。

*注4: 少年雑誌やプラモデルの箱絵などに空想の乗り物や兵器などを多く描いたイラストレーター。

*注5: アプレゲールの略。戦後に登場するそれまでの考え方にとらわれない生き方をする若者のこと。


 

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