■マイナー曲の落としどころ
歌謡曲というジャンルがまだ存在し、歌番組が隆盛を極めていた時代、ヒットする曲のパターンはマイナー(短調)のアップテンポ(またはミディアムテンポ)というものが多かったように思います。いつの時代からかは分かりませんが、日本人にはマイナーを好むというDNAがあって、当時の作曲家たちはそれを加味して曲を書いたのでないかと想像します。
ところが、海外に目を向けてみると、案外、マイナーの曲が少ないことに気付きます。例えば、ビートルズ。彼らの曲の中で純粋にマイナーといえる曲は数えるほどしかありません。「アンド・アイ・ラブ・ハー」(1964年)や「エリナー・リグビー」(1966年)はめずらしく全編マイナーの曲ですが、他のマイナー始まりの曲は、「シング・ウィ・セッド・トゥデイ」(1964年)、「ガール」(1965年)、「アイム・オンリー・スリーピング」(1966年)、「ユア・マザー・シュド・ノウ」(1967年)などですが、ミドルで必ずメージャー展開になるのです。また、クリシェ(*)のお手本のような「ミッシェル」(1965年)もマイナーテイストながら、ところどころドマイナーにならないような息抜きが施されています。このように洋楽曲はマイナーながらドマイナーに着地しないような巧妙な仕掛けが仕組まれているケースが多いのです。
私はといえば、そんな日本のヒット曲の傾向は十分に分かっていながら、マイナー・アップテンポの曲を書くのをなるべく避けていました。シングル曲はマイナーという不文律もあり、ディレクターの要望があれば書きもしましたが、このマイナー・アップテンポという日本独特のヒット曲マナーを使うのがどこか気恥ずかしいような思いがあったのです。
この気恥ずかしさの正体とは、おそらく私が音楽を聴き始めたGS全盛時代に芽生えたものだと思われます。それまで洋楽曲のコピーをレパートリーにしていたGSがプロデビューするといきなり職業作家の手によるマイナー・アップテンポの曲をやりだす違和感を生理的に感じ取って、そのあざとさに気付いていたのだと思います。
もちろん職業作家とはヒット曲を書くことが仕事ですから、当時のGSの曲にマイナー・アップテンポがずらりと並んだのは当然だと思いますが、本来の作風とはかなり異なるこの時代の村井邦彦さんなどは世に出て行くための手段として割り切って書いていたような気がします。
その後、私が自分の作風を確立しようと暗中模索の中、マイナー曲の落としどころを探っていた時、このマイナーなら許せると思ったのが、ひとつはボサノヴァ。もうひとつがフレンチポップスでした。どちらも日本的なドマイナーではなく、展開してマイナーとメージャーの中間のような、淡い洗練された世界があったからです。ジャズの「クライ・ミー・ア・リヴァー」なども同じく(余談ですが、中村八大さんの書いた「黄昏のビギン」のミドル部分はこの曲からインスパイアされたのではと私は見ています)。マイナーのジャズでも私は「ドミノ」は好きですが、定番の「枯葉」は今でもピンきません。
私の中ではマイナーだけれども、ドマイナーに着地しないというのが粋なマイナー曲のあり方だと思っています。ちなみに今、巷でもてはやされているシティポップというジャンルも、作風から分ければこのあたりに該当するのではないでしょうか。
*〜クリシェとはコードのルートや内声を半音ずつ動かしてゆく進行。ルートが半音ずつ3回下がる有名な例は「ミッシェル」のほかに「チムチム・チェリー」や「天国への階段」など。5度が半音ずつ3回上がるのは「クライ・ミー・ア・リヴァー」、5度が2回上がり1回戻るのが「007
ジェームス・ボンドのテーマ」。5度が半音ずつ3回上がるのはデイブ・クラーク・ファイヴの「ビコース」。
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