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 Mar 5,2026

■響きとしての歌詞

 先日、惜しくも亡くなったニール・セダカの数多いヒット作の中に「悲しき慕情」(Breaking up is hard to do)という曲があります。

この頭の「カマカマ、ダンデュビ、デュダンダン」というフレーズは特に意味のない言葉で、響きがいいからとか、ノリがいいからとかいう理由でこの歌詞になったものだと思われます。

思えば、洋楽にはこんな意味のないフレーズが出てくることがたまにあります。「ワッバブ・ルバッバ・ワッバッブ」とか、「シャララ・ララ・ララ・ラア」や「デュ・ランラン・ランラ・デュ・ランラ」なんてフレーズもありました。デルフォニックスだってサビになればいきなり「ララララ・ララララ・ラーミーンズ」です。

そもそも、ポップミュージック黎明期の歌詞の内容は、失恋して苦しいぜとか、あの娘をものにしたいぜ、など単純かつ、プリミティブなもので、それになにやら哲学的な意味を持たせるようになったのは案外近世になってからという気がするのですが、いかがなものでしょう。

初期のエルヴィスなんて英語圏のネイティブでも歌詞が聴きとれなかったなんて話も聞きますが、それでも曲として成立していたわけですから、人々は歌詞の内容に関係なく曲に反応していたということになります。そうでなければ、ネイティブでない私のような人間が洋楽に反応するわけないしなとも思ったりもします。

自分の作品を振り返ってみれば、サビを英語で書いたりしたのは、意味なんて二の次で、英語の持つ響きを使いたかったのだなと今にして思ったりもするのです。ビートルズだって我々が習った英語の文法とはかなり異なる歌詞(she don'tとか)が出てくるではありませんか。あれも響きを優先した結果ではなかったのでしょうか。
 

 
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