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Feb 14, 2012 

■あちら側とこちら側

 
の通った中高では、なぜかまだあまり知られていなかった時代の荒井由実の人気がありました。なので、
私はユーミンがバンバンに書いた「いちご白書をもう一度」や、「あの日にかえりたい」で一般的に認知される前
に、アルバム「ひこうき雲」も「ミスリム」を持っていたのです。

当時、洋楽でたくさん欲しいアルバムがあったのにもかかわらず、少ないお小遣いで同じアーティストのアルバ
ムを2枚も買ったのですから、これはよほど聞きたかったのだろうと思うのですが、実は一番最初に聞いた曲や、
学校で広めた鋭い感性の持ち主は誰だったのかはもう正確には覚えていません。ただ、アルバムを聞いて思っ
たのは、これはそれまでテレビなどで流れていた歌謡曲的なものとは全く異質のものであるということ。それか
ら、GSなどで薄々感じていた大人たちが作り上げた作り物臭い感じがしなかったこと。歌謡曲の人たちがテレビ
の向こう側にいる「あちら側」の人だったのに対して、ユーミンは「こちら側」の人なのだと勝手に思っていたわけ
です。

当時は吉田拓郎がテレビに出る出ないでもめていた頃、つまり、テレビというのは大人たちの作り上げた体制的
なもので、そういうものには迎合しないと主張したのは吉田拓郎が最初であったと思います。そのバックグラウン
ドには彼が大人たちのロジックではない手法で売れたからという自負があったからであり、当時は「あちら側」と
「こちら側」の区別は今では考えられないほどピリピリしたムードがありました。

GSのスターメンバーで結成されたPYGがロックコンサートに出てくると露骨にバッシングされたのはこういう時代
背景があったからですが、音楽性に関係なく「あちら側」は売れていても価値はなく、「こちら側」は売れようが
売れまいが価値のあるものだと単純に考えられていた時代です。

ところが、大人になり多少は音楽的な知識が身に付いた状態でもう一度聞いてみると、「あちら側」にも「こちら
側」にも優れたものや、どうしようもないものが混在していると気づくのです。理論に裏付けされた緻密な展開に
対して、閃きだけを武器とした荒削りだけど光っているもの。ベクトルとしては正反対のように見えますが、どちら
も心を捉えるという点では等価なのです。「こちら側」の自由の発想や、枠に捕らわれない方法論も魅力的です
が、数多い制約の中でいかにスキルを使って完成度を上げるかという「あちら側」の知的なプロの仕事にも惹か
れ、わたしはむしろ後者のほうが面白そうだとも思っていたのです。


岸正之ホームページ kishi masayuki on the web


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