■TEXT

Aug 19, 2012 

■テンションとか


 
ンションみたいなものを言葉は知らなくても、感覚として面白い響きだと認識していたのは小学生の頃だったと思います。

1960年代当時の職業作曲家は程度の差こそあれ、ジャズを勉強していたはずで、それが子供向けのアニメ音楽にも反映していたのでしょう。手塚アニメ「ワンダースリー」のメロディの最後の音や、コカコーラのCMソングの最後の音が普通のルートで終わっていないことは子供心にも面白いなぁと感じていました。

あとはもう少し大人になってからですが、アメリカンオールデイズや映画音楽のゴージャスなオーケストラアレンジなどで通常のドミナントコードの部分で、どう聞いてもフラットナインスやサーティーンスの音がかすかに聞こえるのです。そして、そのかすかな音が言い様のない哀愁感を全体に与えていること。こういうのはアコースティックギターでガッツ(音楽雑誌)を見ながらコードを覚えている世界では決して出てこなかったのです。

南沙織「哀愁のページ」のサビの2つ目のコードの不思議な響きを「ムーンライトセレナーデ」みたいだと思ったのはギターに夢中になっていた頃でした。その洗練された美しい進行に、一部のロックで偶発的に、あるいは苦し紛れに使われる必然性のない(ハーフ)ディミニッシュとは随分と違う味わいがあるものだと思ったものです。

そういうものを大人になってから、ああ、これはこうなっていたんだとロジカルに理解できるようになると、この世
界の先達がいかに知恵を絞って、曲が書いていたかが伺われて感動してしまうのです。


岸正之ホームページ kishi masayuki on the web


<<   TEXT MENU   >>

HOME