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Apr 17,2014

■アベベ選手と裸足

 
日、市川崑監督の記録映画「東京オリンピック」を観ましたが、長年誤解していたあることに気が付きました。

それは東京オリンピックのマラソンで優勝したエチオピアのアベベ選手が裸足で走ったと思っていたことです。確か、当時の国語の教科書にアベベ選手は裸足で走ったと書いてあって、今でもアベベと言えば、東京オリンピックの覇者であると同時に、裸足という言葉が思い浮かぶのです。

ところが、この記録映画を観るとアベベ選手はしっかりとプーマ製の靴を履いているではありませんか。調べてみると、その前のローマオリンピックでは確かに裸足で走って優勝しており、教科書にはこのことが書いてあったのだと推察するのです。そして、この裸足で走った経緯も、ローマに持ってきた靴が壊れ、現地でそれに代わるものがなかったので、やむを得ず裸足で走ったということだったのだそうです(ちなみに東京でも裸足で走っているアフリカ系の選手は何人がいます)。

よく考えてみれば、海外から選任のコーチを呼び寄せるぐらいのエチオピアの陸連や、その強化選手に選ばれていたアベベ本人が靴の一足ぐらい買えないわけがなく、ことさら「裸足の」が強調された理由は一部のマスコミが貧しい境遇から金メダルまで上り詰めたという誰もが好む感動的な物語を仕立て上げるための印象操作であったのだろうと思うのでした。

それよりも驚いたのは、ウィキで初めて知ったアベベ選手のその後のことです。以下は要約です。

ローマ、東京オリンピック2連覇など様々な功績により、本国で昇進したアベベ選手には車が貸与された。ところが、競技途中で棄権したメキシコオリンピックの半年後の1969年、その車で事故を起こし下半身不随となる。1972年のミュンヘンオリンピックではゲストとして車椅子姿で開会式に参加するが、そのわずか1年後、交通事故の後遺症と思われる疾患により41歳で亡くなる。

あのオリンピック2連覇という偉業の後に、このような紆余曲折があったとは全く知りませんでした。

 
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