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Apr 22,2015

■「柘榴坂の仇討」と「蜩ノ記」

 代物の日本映画の近作柘榴坂の仇討」(2014年)と「蜩ノ記」(2014年)を続けて観ました。

どちらもかつての日本映画黄金期の雰囲気を感じさせる力作で、「柘榴坂」は松竹らしく、一方、「蜩ノ記」は東宝らしいテイストでキャストも含め黒澤監督の影響が垣間見えます。


「蜩ノ記」は岡田准一さんという旬の役者に、役所広司さんという王道のキャスティング。少々、物語がややこしくなる部分はありますが、最後まで一息に見せる起伏があります。中でも素晴らしかったのは原田美枝子さんの佇まいの美しさ。一挙手一投足に気が行き届いていて、凄みさえ感じました。

「柘榴坂」の方は役にぴったりとはまっていた中井貴一さんが秀逸です。「仇討」というから、私はもっとどろどろした展開の中のカタルシスを勝手に期待していたのですが、結末は美しく、さわやかです。余談ですが、中井さんにはかつて曲を書いたことがありましたが、シンガーとしても大変きれいな声の持ち主でした。この映画でひとつ気になったのは、ひときわ美しい雪の中で咲く寒椿のシーン。あそこはセリフでの説明をしない方が引き立ったのではと思いました。後半にも同じシーンが出てきますが、言葉の説明で意味を限定するのではなく、観た人それぞれが様々な思いを広げて埋め合わせればいいのにと個人的には感じたのです。宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」でも豚の中に両親がいなかったことが分かった説明なんてなかったじゃないですか。そういうことなのだと思います。

「柘榴坂」が赦しと再生の物語だとすれば、「蜩ノ記」は不条理と自己犠牲。どちらが日本的かといえば、私は後者だと思いました。


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