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Sep 1,2015

■幕末太陽傳と写楽

 島雄三監督の「幕末太陽傳」(1957年)は私の中でオールタイムのベスト3に入るぐらい大好きな映画です。これに主演されたフランキー堺さんを再度起用して川島監督が次に撮りたいと思っていたのが写楽の映画だったのだそうです。これは構想だけではなく、実際に1964年東宝公開でタイトルも「寛政太陽伝」と決まっていたとのことです。

ところが、川島監督は製作直前に急逝、フランキーさんはそれ以降もこの企画をずっと暖めていて、企画総指揮、脚色、役者と多くに関わり、篠田正浩監督でようやく映画に纏め上げたのが1995年のことでした。この「写楽」には「幕末太陽傳」のオマージュがたくさん登場します。

まず、舞台が遊郭であることがそうですし、猫が登場すること、真田広之さん演ずるとんぼが肉体的ハンディを背負っているのもフランキーさんが演じた佐平次と同じ、デキシーランドジャズっぽい最後のタイトルバックの音楽、そして極めつけは有名な「首が飛んでも動いてみせまさぁ」というセリフもなぞられています。さすがに、川島作品によく登場するトイレのシーンは登場しませんが。

ただし、「写楽」が「幕末太陽傳」の続編かといえば、そうではなく、この2作品はテイストの全く異なる映画です。「幕末太陽傳」がすごい映画だと思うのは、コミカルな中に漂う死生観や無常観が理屈抜きで心に迫ってくるからで、これは今だから文章で説明できますが、初めて観た時にはなんだなんだ?この感じは?と思うぐらいに訳が分からずに感動したのです。

それに比べれば「写楽」はもうちょっとシリアスな映画です。遊女の描き方にしても「幕末太陽傳」での左幸子さんなどはもうおなか抱えて笑っちゃうぐらいコミカルでしたが、「写楽」での葉月里緒奈さんは一貫して暗く重いイメージです。演技で光っているのは片岡鶴太郎さん。ちょっと若き日の金子信雄さんを彷彿させます。佐野史郎さんも飄々としていて、ほんとに歌麿はこんな感じだったんじゃないかなと思わせます。

フランキーさんはこの映画公開の翌年、他界されますが、「幕末太陽傳」以降、38年の長い間、この企画を練っていた心情はどんなものだったのでしょうか。この間には、映画界全体の斜陽、「幕末太陽傳」を送り出した日活の倒産、そして自身の老いや病の問題などもあったと思うのです。それでもなお、川島監督の遺志を引き継いで映画を完成させた心意気に大拍手です。

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