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Jan 15,2016

■「黒船」で思うこと

 本で早い時期から英米と日本のレコードの音質の違いに気が付き、それをハード面も含めロジカルに追求しようとしたミュージシャンは加藤和彦さんではなかったのかと私は思っています。

ただし、レコーディングとはかなり閉ざされた空間ですので、英米のエンジニアが一体どんな機材やノウハウで音作りをしているかは、有名シェフの門外不出のレシピのように、簡単には解読は出来ませんでした。あのビートルズでさえ、モータウンのベースのレベルが大きく入っているレコードを聴いて、なぜイギリスではこういう音に出来ないのだろうと試行錯誤を繰り返していたといいます。

ましてや、極東の日本ではそんなノウハウは知る由もなく、保守的なレコード会社のハウススタジオで空しく時が過ぎていくのでした。そこに一石を投じたのは、日本でも世界と渡り合える音が作れると信じている若いレコード会社のスタッフや、アルファミュージックのような新しい流れでした。中でも1974年、加藤和彦さん率いるサディスティックミカバンドの「黒船」のレコーディングの際、イギリスのレコーディング技術の最前線にいたクリス・トーマスをプロデューサーとして招聘したことは、その後の日本の音楽シーンを変えるほどの重要な出来事でした。

当時のスタジオに東芝の所有したありとあらゆる機材が集められ、その機材の発する熱でミキシングルームの温度は上がり、マルチテープには前代未聞の編集のはさみが入れられ、全てが当時の日本の基準ではありえない手法でレコーディングは進み、要した時間はなんと600時間だったそうです(当時は会社上層部への配慮から300時間ということにされていた)。「黒船」は世界に出しても遜色ない作品だと玄人筋では評価されましたが、セールス的には芳しくありませんでした。莫大に膨れ上がった制作費はおそらく回収できなかったと思います。

上層部からの圧力にも屈せず、経済よりもまず質を追求した制作姿勢にはやはり音楽制作とは単なる金儲けの手段ではなく、後世に残っても、あるいは世界に出しても恥ずかしくないものを作りたいという、ある種無謀な、けれど真剣な思いが背景にあったのではないでしょうか。時として経済度外視で行われるこのような行為こそが後の世界を変えることもあると、今でも「黒船」を聴くと思うのです。

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