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Oct 19,2016

■ドント・ルック・バック

 ブ・ディランの1965年のUKツアーの模様を記録したドキュメンタリー映画「ドント・ルック・バック」(1967年)を久々に観ました。まあ、これ最初の有名なクリップ的な映像にはやられますよね。11ドル札が欲しいのに、10ドル札しか持っていない(サブタレニアン・ホームシック・ブルース)という詞にもやられますし。白黒が似合うイギリスのクラシックな町並みや劇場、薄暗い雨の夜を走る車内のディランなど出来のよい架空のロードムービーを観ている様な風情もあります。

所々にインサートされるインタビューの様子を見ていると、ほとんどインタビュアーとケンカをしているような辛辣なディベートの応酬で、何ともハラハラします。ビートルズのメンバーの中ではレノンがこの時期に一番感化されたようで、それはすぐに作風に現れるのですが、元々、心の深い所に渇きを抱えているというメンタルはディランとレノンに共通のものだったのかもしれません。ただレノンはその心に波風を立てるものの正体が分からずにあがいていたのに対して、ディランはその正体がより明確に見えていたのではないでしょうか。

いずれにせよ、ディランとの邂逅があり、同じ歳ながらその老成ぶりに接したレノンがそれまでの単純でステレオタイプのラブソングが書けなくなったのは頷ける話です。まあ、熱しやすく冷めやすいレノンのことなので、その傾倒もどのぐらい続いたのかは分かりませんが、個人的にはレノンの書いた「アイ・アム・ザ・ウォルラス」や「カム・トゥゲザー」のあまり意味を成さない(あるいは聴者の想像力に委ねる)言葉の羅列のような詞はディランの影響だった感はあります。ちなみに、レノンは1970年、初ソロアルバムの「ゴッド」という曲でZimmerman(ディランのこと)を信じないと歌っていますが、逆説的に捉えれば、それは一度はディランにすごく心酔していたとわざわざ白状しているわけです。

私はそれほどディランを聴き込んではいないのですが、ひとつだけ感じたのはマッカートニーの歌はマッカートニー以外の人が歌っても作品として成立するのに対し、ディランの歌はディラン以外の人が歌ってもあまり意味がないのかもしれないということです。そして、その差がおそらくポピュラーミュージックとそうでないものの差なのだと思います。


 

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