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Jan 18,2017

■キャブ・キャロウェイとバンドホテル

 だ私が山下町界隈に住んでいた1980年代の話です。

ある日、バンドホテルの前を通ると看板にキャプ・キャロウェイという名前を発見しました。バンドホテルにあったナイトクラブ、シェルルームでキャロウェイのライブがあるというのです。ちなみに当時のバンドホテルがどんな場所だったかといえば、明らかに時代に取り残された感のある閑散とした雰囲気が漂っていました。平置きの駐車場にはいつもほとんど車は駐まっておらず(近辺で「あぶない刑事」の撮影をしていた石原プロモーションのキャンピングカーはたまに駐まっていました)、メインのエントランスから人が入っていくのもあまり見かけませんでした。一方、キャロウェイといえば、戦前から活躍するジャズ歌手。映画「ブルーズブラザース」(1980年)に出演していたので、名前に聞き覚えがあったのでした。ところが「ブルースブラザース」の最後の紹介シーンでもジェームス・ブラウンとレイ・チャールズの間に出てくるような米音楽界のレジェンドであるキャロウェイと、この1980年代のバンドホテルがどうしても結びつかず、あれは違う人だったのかもしれないという釈然としない気持ちのまま、その名前は記憶の彼方に埋もれて行きました。

先日、そのことをふと思い出して、調べてみるとあれはやはりキャロウェイ本人のライブでした。1988年にキャロウェイは唯一の日本公演を神戸、横浜、東京(エムザ有明)で行っており、その横浜公演の場所がバンドホテルのシェルルームだったのでした。その話は「日本のナット・キング・コールと呼ばれた男デニー白川」(2007年 神奈川新聞社)という書籍にも出てくるので間違いないと思います。当時、キャロウェイは80歳。その歳になってからファーイーストの地で、しかもわざわざ絶滅寸前だったナイトクラブという場所を指定してライブをやろうとしたモチベーションは一体何だったのでしょう。前述の本によれば、ギャラはキャロウェイの提示した金額の1/3以下で折り合いがついたということなので、バブルの盛りのジャパンマネー目当てという動機だけではないような気がしています。そして、その貴重なシェルルームでのライブを観た人たちは一体どんな方々だったのでしょう。


追記) 現在のバンドホテル跡地(2017年2月撮影)。

 

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