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 Jun 10,2017

■Spacy考

 下達郎さんのソロ2作目「Spacy」(1977年)。まだシングルヒットが出ていない頃ですので、このアルバムを当時買って聴いていたのは相当熱心な音楽ファンでした。あの頃、ユーミンはすでにシングルヒットも出していて、一般にも知られるほどメージャーな存在になっていました。私の持っていたイメージではユーミンは詞と曲が同じレベルで立っていて、その少し後ろに歌やサウンドがあったという感じでしたが、達郎さんの場合はサウンドと歌がまずありきで、少し後ろに曲や詞があったという印象でした。

おそらく一般に届き易かったのはユーミンで、歌謡曲のヒットの定石とは幾分異なる切り口の達郎さんのディテイルはなかなか解読できなかったというのが実情ではなかったでしょうか。事実、リアルタイムで聴いていた当時の私の耳では達郎さんがこだわりにこだわっていた複雑なコードを読みとることはできなかったし、ただリズムのグルーブやメージャーセブンスの響きが心地よいものとして感じられただけでした。言い方を変えるならユーミンは当時の主流であった歌謡曲と重なる部分はあったけれども、達郎さんは良い意味でも悪い意味でもそれがほとんどないに等しかったのです。

「Spacy」のクレジットを見るとドラムはポンタさん、ベース細野さん、ギターが松木さんと大村さん、キーボード佐藤博さんと一流の方々。その面子に対してビッシリと書き込んだ譜面を用意した達郎さんの過剰とも言える熱意が今聴いても聴くに耐えうるサウンド構築の根底にあったのだと気づかされるわけです。今にして思えば、前作の海外録音で手に入れたノウハウを試してみたくてうずうずしていたのだと思います。そしてそのノウハウとは編曲の手法であり、この時代ですでに編曲まで完全に制御しようとしていたアプローチは、通常誰か編曲家を立てて作品を完成形にするシンガーソングライターの音作りの枠を超えていたと思うのです。

ちなみに当時の歌謡曲の編曲とはびっしりと書き込まれた譜面をミュージシャンは一字一句間違えることなく正確に演奏することが必須でしたが、いわゆる「ニューミュージック」の世界ではプレイヤーそれぞれの個性が如実に出るヘッドアレンジの部分が多く、スタジオのジャムで次第に音が固まっていくというケースも少なくありませんでした。「Spacy」のこのセッションでも達郎さんが丹念に書き起こした譜面を叩き台にしながらも、プレイヤーがそれぞれの解釈と自由な発想でサウンドが決定されていったということです。

加えて、もうひとつ、1曲目の「Love Space」。当時、この曲を夏が始まりそうな時期に聴いた時の高揚感が忘れられませんが、音楽的にはメロのトップがなんと地声ロングトーンのBという高さ。ちなみに「君は薔薇より美しい」の布施明さんの最後のロングトーンがAですから、それより一音高いのです。この曲はこのロングトーンのために作られた曲と言っても過言ではないと思います。何と言うか、このような非凡は足が速く走れたり、ジャンプが高く飛べたり、球を速いスピードで投げられるといった肉体的な特殊技能と言ってもよく、特に音楽の世界で声の高さは誰にも分かりやすい基準なのだと思います。選ばれた人のみに与えられる恩寵を感じます。

 

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