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■ユーミン 最初に白状しますが、私は学生時代、横浜の教会でやったユーミンの結婚式をわざわざ見に行ったという バカモノ(笑)です。 私の高校ではなぜかキング・クリムゾンとまだとてもマニアックな存在であったユーミンは人気がありました。今 思うと、これは大変ヘンなコンビネーションであったと思うのですが、とにかく「宮殿」、「ひこうき雲」、「ミスリム」 あたりは我々の中で一種の通過儀礼のようなアルバムだったわけです。 一方ではフォークブームというのがありましたが、私はこの日本のフォークというのがいまいちピンとこなかった のですな。井上陽水氏などは例外的に(星勝氏の編曲によって)とても「華」のある音作りでしたが、一般的な フォークというのはアコギ主体のとても地味なサウンドで、食傷気味だったのです。もうひとつ、ヤマハのポプコ ン系というジャンルもありましたが、私的にはこれもアウトでした。なにか、あのコンテストの独特のアクの強い カラーというのがしっくりとこなかったのです。 そのような時代に聴いたユーミンのメロや詞、サウンドは確かに異質なもので、「洗練」を感じさせるものだった のです。この「洗練」の一部分が、ユーミンのルーツ的音楽の一部を担っていた「ボサノバ」であったことを後に 認識するのですが、20歳そこそこの若さで当時はメインストリームとは言いがたかったボサノバに着目していた とは、やはりこの人、ただものではありませんな。 おそらく当時のユーミンはパフォーマーとしてよりもソングライター志向が強い人だったのではないでしょうか。 例えば「きっと言える」(*)なんていうのは明らかにボイスレンジを逸脱した曲ですが、それをあえて取り上げてし まうというところにも、歌唱よりもソングライティングを優先させていたという姿勢が感じられるのです。 動くユーミンを初めて見たのは、TVKの「ヤングインパルス」でした(たぶん1974年)。五輪真弓さんとのジョイン トで、グランドピアノを2台向かい合わせにセッティングして、交互に持ち歌を歌うという設定であったと記憶して います。確か、ユーミンは黒のつばの広い帽子をかぶっていたような印象があります。その1年後ぐらいに「ギン ザNOW」にも出演されていましたが、なんとポニーテール+ホットパンツで登場してハンドマイクで踊りながら 「ルージュの伝言」を歌われた(**)のにはかなりビックリしました。あのあたりがキャロル・キングタイプのシンガ ーソングライターから現在のようなビジュアルを駆使したパフォーマーに変貌していった時期だったのでしょう ね〜。 *「きっと言える」〜アルバム「ひこうき雲」に先立ってリリースされた2枚目のシングル。ユーミンが得意とする転 調が炸裂しており、なんと1番と2番では調が異なるというすごい作り。音域は2オクターブに近いというワイドレ ンジ。たぶんこのあたりが後の「中央フリーウェイ」の原型。 **ユーミンの「ぎんざNOW」出演〜私の昔の日記を読み返してみたところ、それは1975年5月9日だったようで す。その日記には「・・・ミスリムのジャケットのような感じを想像していたのに・・・」と書いてありました。
2003/1/16 |
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