アルバムCD化記念特設ページ


 
It was 30 years ago today 〜"Warm Front""PRETENDER"解説

 
の30年の間にたびたびCD化の企画が持ち上がっていた私のビクター時代の2作品が今年、ようやくCD化されることになりました。アルバムの事は折に触れ、サイトでも取り上げましたが、それらの情報に加え、この機会に新たに思い出したことなどをまとめてここに記しておこうと思います。

■デビューアルバム"Warm Front"

 リリースは1982年4月21日。アルバム製作に際し、アレンジャーに関してはほとんどディレクターの選択でした。今にして思えば、今剛、井上鑑、奥慶一、新川博という選択は実に素晴らしかったと思います。ギタリストである今さんが一番多くの編曲を担当したことによって、ギターのサウンドがより前面にフューチャーされ、このアルバムのカラーの一部を作り上げたと思います。作詞家に関しては、ディレクター側で用意していた人もいましたが、これは濱田金吾さんに素晴らしい詞を提供していた小林和子さんでいきたいと私が固持しました。加えてディレクターに提案したことは、コーラスパートはアレンジを含め、全部自分でやりたいと言ったことです。そのために24トラックのマルチレコーダーを2台パラで回して録音することになりました。

「See You Again」の録音の時、ドラムの林立夫さんが「この曲、いいね」と言ってくれたことは忘れられない思い出です。プレイでは2コーラス目以降、2拍目とか4拍目にクラッシュシンバルが入るのがすごく林さんっぽいです。林さんのことをみんなミッチーと呼んでましたが、由来は結局分からずじまいでした。ベースは美久月千晴さんのピック弾きで、フェードアウト直前にポール・マッカートニーのようなフレーズも聴こえます。

奥慶一さん編曲の「さりげなくALONE」は今改めて聞くと、印象的なフルートとホルンのユニゾンのパートなどAOR的なすごくいいアレンジだと感じます。もしも、このアルバムからシングルを切っていたなら、「さりげなくALONE」だったでしょう。

今剛さんがアレンジをして、ギターを弾いているのは「Say Goodbye」、「See You Again」、「Babe」、「真夜中のWhisper」。ライン録音の今さんはコントロームルーム側でギターをダビングするケースが多く、目の前で披露される素晴らしいプレイには驚きの連続でした。特に何度も弾き直して完成させた「Babe」のソロは今聴いてもちょっと神懸っていると思います。「See You Again」でのレズリースピーカーの使用、「真夜中のWhisper」での哀愁あるペダルスティールなど、ギタープレイの聴き所は多いです。また、このアルバムでは4リズムと仮歌の段階でお蔵になった今さんのアレンジのアウトテイクが1曲ありました。

私がギターを弾いたのは2曲で、「カリフォルニア・ブルー」のストロークの一部、ソロと後半のオブリガード、「Ordinary Girl」のアコギです。「カリフォルニア・ブルー」のオブリガードは当時、ビクターのレコーディング・エンジニアをされていた元スペクトラムのトロンボーン奏者、吉田俊之さんと一緒にフレーズを作り、譜面を書いて弾いたと記憶しています。エンジニアの山口州治さんがスタジオのアウトボードなどを駆使してなんとかラインで良い音を作ろうと苦心しました。「Ordinary Girl」はピアノの奥慶一さんとふたりでビクターの広いスタジオを使い、クリックなしで録音しました。

「City Tripper」は4リズムの録音の後、井上鑑さんが当時、最新鋭であったイミュレーター(初期のサンプラー)を使って、手弾きでサンプリングのドラムやベースなどをユニゾンで重ねていったのを覚えています。スコアのイントロにはギターソロのフレーズが書いてありましたが、これは最終的に却下されました。

当時はミックスダウンの際にコンピュータによるオートメーションシステムなどはなかったので、複雑なことをやろうとすると多くの人手が必要でした。当然、私もかりだされました。例えば、「Say Goodbye」を注意深く聴くと、イントロのブレーク後、スネア一発だけ深いエコーがかかっているのですが、これは私がその部分でスネアチャンネルのエフェクトノブをぐぐっと回していたのです。

■2枚のシングル

 「Warm Front」の翌年の1983年に「通りすぎても」、「From A To Heaven」の2枚のシングルをリリースしました。

「通りすぎても」のアレンジは一度仕事をしてみたかった清水信之さん。そんなに厚いオケにしないで、ひとつひとつのパートの存在感のあるようなものにというのが私からの要望でした。ドラムは当時最新鋭だったLinn(ドラムマシン)を使い、ベース以外全て清水さんが演奏しています。ギターは清水さんが加藤和彦さんに借りた黒いレスポールを使ったと思います。そのスタジオには加藤さんのギターが他にもあり、ナチュラルのリッケンバッカーもあったように記憶しています。

「From A To Heaven」はCMのタイアップ曲で、作詞は湯川れい子さん、作曲・編曲は井上大輔さんでした。井上さんにはCMの仕事の歌唱でよく呼んでいただきました。その延長でリリースされたシングルです。井上さん自らがサックスを演奏されましたが、そのダビングが終わった時にスタジオで拍手が起きたのをよく覚えています。ドラムは林立夫さん。ものすごく高そうな木目のソナーを使っていた頃です。また、レコード化はされませんでしたが、この次の年のフロムAのCM音楽も歌唱で参加しました。

(このシングル2曲は今回のCD化に際し、「Warm Front」の方にボーナストラックとして収録されています)

セカンドアルバム"PRETENDER"

 リリースは1984年1月21日。この頃になるとようやくスタジオでの色々な事が分かってきて、アレンジャーを知己のあった武部聡志でやろうと提言したのは、私だったと思います。全曲、ほぼ同じミュージシャン、同じスタジオで録音したので、バンドの合宿のようで雰囲気は良かったです。全体のイメージはジノ・バネリの「Nightwalker」が頭にありました。

このアルバムのレコーディングが始まる前年の1983年から他のアーティストへの曲の提供をしており、このアルバムに収録されている「FLY TO LIGHT」はデモの状態で、他のアーティストの曲のプレゼンにもかけられていたのです。レコーディングの準備が進み始めたころに、ジャニーズ系のあるグループ用にこの曲を使いたいとのオファーがありました。これは私にとっては作家としてブレークする大きなチャンスでしたが、やはりアルバムに必要な曲だと判断して、そのオファーは断ったのです。この曲はアルバムの中でも少々異色な曲で、ラズベリーズやELOのような1970年代のパワーポップのテイスト。終盤のプログレのような変拍子は武部さんのアイデアで、ドラムの菊池丈夫さんがタムを別チャンネルにダビングしました。最後のコーラスはトップが上のF♯まで出ていて、担当した比山さんが冗談で「Eから上は別料金ね」と言ったことなど思い出します。

「Introduction」はフェアライト、シンクラビア、PPGなど当時の最新鋭のシンセが使われたと記憶しています。曲の最後でリバースシンバル(シンバルの逆再生音)を入れて次の曲に行く構成は私のアイデアでした。

「ガラスの摩天楼」のサビには、忠英さんの12弦アコギでのストロークが入っています。サビにちょっとアコースティックな響きを加えたくて入れたと記憶していますが、今考えると、これは1960年代後半のフォークロックの影響だったのかなという気もします。

「Music Forever」のコーラスは私ひとりでやったのですが、その際、ピッチにシビアな武部さんのダメ出しを思い出します。また、「街角のプリテンダー」の最後の方のソロは鳥山雄司さんのギターシンセによるプレイ。「FLY TO LIGHT」のソロは青山徹さんで、「ガラスの摩天楼」、「Music Forever」は鳥山さん。スタジオギタリストはだいたい最新のカスタムギターを使うというのが私の印象ですが、青山さんがこの曲で使ったのはヴィンテージのギブソンES-355で、意外な感じがしてよく覚えています。

このアルバムで唯一シーケンサーを使ったのが「ラハイナ・ブルームーン」。F.R.デヴィットの「Words」のオケの無機質感を出したくて、コードの刻み部分をオーバーハイムのシンセで作りました。もしも、このアルバムからシングルを切っていたら、「ラハイナ・ブルームーン」と「Music Forever」のカップリングだったでしょう。

「街角のプリテンダー」のインストから雨のSEを入れて、「雨のシルエット」へ行き、最後の「コロシアムの影」へつながると言うアイデアはアルバムのレコーディングが始まった段階ですでに決定していました。雨のSEはビクター所蔵のライブラリーから適当なものを選んだのだったと思います。

最後まで決まらなかったのが「雨のシルエット」のソロ。私がギターで試みたりしたのですが、結局、武部さんのピアニカでのソロがしっくりきて、採用になりました。

「コロシアムの影」は今は無き田園コロシアムをイメージして書きました。この曲のオケ録りの時、仮歌をスキャットで歌ったら、ドラムの菊池丈夫さんが詞をつけて歌って欲しいと言われたのをよく覚えています。こういうことをスタジオミュージシャンの人に言われたのは初めての経験で、詞によってもプレイを変えるドラマーの人がいるのかと驚いた覚えがあります。これはアルバム全曲、同じプレイヤーだったからこそ出てきたキメの細かい対応だったのかもしれません。

ジャケット写真を撮ったのは外苑の聖徳記念絵画館の西側。白黒でこういう感じにしたいとラフスケッチを描いたら、歌詞にも出てくるので絵画館がいいだろうということになり、一枚目は猫だったので、今度は犬で行こうと。パッケージは、「帯」を通常より細くしてもらい、さらに「シュリンク・パック仕様」にしてもらったのですが、これはビクターでは初の規格だったということです。

発売当時、横浜のテレビ局TVKに日本の音楽をビデオクリップと共に流す番組があり、そこで「街角のプリテンダー」はよく流れました。クリップはTVKが独自に製作した空撮のような映像だったと思います。

                               * * *

これらの作品に共通して言えるのは、基本的には全曲が本物のミュージシャンの生演奏で行われたことです。初期の打ち込みやサンプリングのサウンドが生演奏の代用としては、あの極めて高価であったフェアライトで製作されたものでさえ、今となってはひどく単調に聞こえてしまうことを考えると、幸運であったと思います。また、1980年代中期あたりから登場した初期のデジタル録音もまだ発展途上であり、これらの作品が長年のノウハウの蓄積の上に成熟していたアナログ録音であったことも幸いでした。

今、これらを聴くと、もう少しここはこうしておけばよかったとか、詰めが甘いと思う点も多々ありますが、ロジックではなく若い日に走りながらでしか生まれなかったひらめきのようなものも確かにあったと感じます。リスナーの方々にはそのあたりを少しでも感じ取っていただければ幸いです。

最後に、私のビクター時代の全ての関係者の方々、そして、今回、アルバムの復刻に際し、尽力していただいたタワーレコード、金澤寿和さん、ビクターエンタテインメントの星健一さんに厚くお礼申し上げます。

                                             2014年 初夏    岸 正之


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