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 Aug 7,2020

■風船

 川島雄三監督の「風船」(1956年)を久々に観ました。一時、川島監督に凝って貪るように作品を観ましたが、その中でもこの映画の印象は強く残っています。

善と悪がはっきりと対比されてるあたりや、聖人のような娘にハンディキャップがあるという設定は初期の黒澤を思い出すし、ドストエフスキーかなとも思いましたが、いずれにせよ、傑作と駄作の振幅の広い川島監督の作品の中では間違いなく前者と感じました。

印象に残るのが善人チーム(笑)のキャプテン、珠子を演じる芦川いづみさんです。芦川さんは後に赤木圭一郎の相手役で日活アクション作品にも出演していましたが、娯楽作品よりも文芸寄りのこのような役をやると一層輝く役者さんだと思います。

そして川島作品には欠かせない新珠三千代さん。「洲崎パラダイス赤信号」(1956年)の毒婦ぶりも秀逸でしたが、今回は新珠さんも薄幸な善人チームです。新珠さんが演じる久美子が最後に珠子と挨拶をする場面で見せる表情はこの映画のクライマックスと言っていいほど素晴らしいです。私の考えでは、映画というのはこういうシーンがひとつでもあれば傑作です。

逆に、どんなに高尚なテーマでも言葉で説明してしまうのはそれだけで興醒めです。例えばある映画の中盤でこんなシーンがありました。これから処刑される女が馬に乗せられ移動していくシーンで、その女はこれから死ぬにもかかわらずうっとりとした何とも言えない表情をしているのです。それはこの女がこれから訪れる死よりも重要なものをすでに知っているからなのですが、それをセリフで説明してしまっているんですよ。「あの女の晴れやかな顔を見たかい」とかなんとか。舞台ならともかく映画はいくらでも表情をアップにできるのですから、これは演じた女優さんの努力も報われないし、観ている人の感性も侮っていて、だめですよね。逆にセリフを乗せなければ伝わらない描写ならそのシークエンス自体がどこか間違っているのだと思います。説明なしに女の表情から100通りの解釈が生まれるところが映画の醍醐味ではないでしょうか。

 

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