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 Feb 22,2021

■映画のデフォルメ

 そもそも映画というのは架空の世界の話なのですから、多少おかしな点があっても全然問題ないと思うのです。

なぜこんなことを書き出したのかと言えば、「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」(1977年)という映画を観たからです。この作品、篠田正浩監督の中でベストだと思いましたが、ひとつ少々思った点があったのです。それは瞽女おりんを演じる岩下志麻さんの肌とか手がきれいすぎるのですよ。瞽女というのは盲目で、諸国を点々としなから三味線などを弾いて歌う旅芸人のこと。時には寒風の吹き込む寺や炭焼き小屋などを宿にしたり、雪の中を延々と歩いてゆくのですから、手や肌などはぼろぼろになるのではと想像するのです。

それでは、リアリティを重んじて岩下さんが特殊メイクかなにかでぼろぼろの肌で登場すればよいかといえば、そうではないのです。岩下さんがきれいだから引きつけられるし、物語が進んでいくわけです。映画には、事実とは異なるかもしれませんが視聴者がその世界に入りやすくする仕掛けが必要で、映画が映画として成立するための華が必要だと思うのです。事実をそのまま再現するのであれば、ドキュメンタリーで十分。映画はそれを越えたプラスアルファーを表現するメディアで、そのプラスアルファーのひとつがこのようなデフォルメだと考えます。

つまり、原節子がつけまつげのまま寝ていたり、雷蔵が時代劇で目張りを入れていたり、貧乏な役であるはずの長谷川一夫がお召みたいな着物を普段着にしていたりなんていうのは、映画の中で必要なファクターだと思います。観ているほうだって、入れ墨が本当の入れ墨ではないことや、作り物の生首を承知で観ているわけで、老人役なので歯を抜いたり、チャンバラで真剣を使ったりするのは架空の映画という舞台でどこかバランスを欠いた異様な行いなのではないかというのが私の考えです(なぜなら、この考えを突き詰めると演者はハラキリのシーンで実際に腹を斬らなければならなくなり、それはもはや現実の仮構化という芸事の条件を外れるからです)。

それにしても、この「はなれ瞽女おりん」、なかなかこれはという作品に巡り合わない1970年代の日本映画の中で白眉です。篠田・岩下コンビの作といえば近松原作の「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」(1969年)も凝ったセットや黒子を登場させるなど、意欲作で印象に残りましたが、一本というなら断然おりんです。雪山をバックに数人の瞽女が連なって歩いていくシーンなどこの上なく美しく、なぜか涙が出ます。終盤、ひとりになったおりんが軒先で三味線を弾くシーンで手前の人物を暗く撮った明暗のバランスも素晴らしい。岩下志麻さんの出演作も松竹の時代から随分観てきたつもりですが、その中でもベストかもしれません。

 

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