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 Apr 27,2021

■いちご白書とメイシック

 私が大学生だった頃には、キャンパスは平和なものでしたが、今、70歳前後の方は大学紛争をリアルに経験していると思います。

学生運動が一般にもある程度支持されたのは、動機が私欲のないピュアなものだったからだと思うのですが、それも運動が過激化すると、一般も学生も一挙に離れ、学生運動は急速に収束していきました。

その学生運動が出てくる歌が「いちご白書をもう一度」(1975年)。ユーミンの詞には「学生集会」という言葉が出てきます。そして、この曲はあまり知られていないと思うのですが、濱田金吾さんの「May Sick」(1980年)の松本隆さんの詞には「キャンパスは立看板の波 白ヘルの男がビラを配っていた」とやはり学生運動時代の様子が描かれています。

このふたつの詞に共通するのは結局、学生運動では世の中は何も変わらなかったという無力さ、敗北感、諦念のような感情で、「いちご白書をもう一度」の主人公はもう若くないさと髪を切って就職し、「May Sick」では、若さとは綺麗なあやまちと回想するのです。ちなみに、竹内まりやさんの「五線紙」(1980年)の松本隆さんの詞でも「あの頃のぼくらは美しく愚かに 愛とか平和を歌にすれば それで世界が変わると信じてた」というフレーズが出てきます。

おそらく学生運動とは、卑しく汚い大人たちのルールへの抵抗で、変わらないとどこかで分かっていながらなにかやらずにはいられなかった若い人だけが持つ無垢なエネルギーだったと思うのです。社会に出れば、体制に巻き込まれ、青臭い基準は捨て去らなければなりません。その基準は愚かですが、美しいというわけです。過激になる前の学生運動にある種の甘美さを感じるのはこういう部分なのかもしれません。



 

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