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 Feb 5,2022

■キュアロン作品の共通テーマ

 アルフォンソ・キュアロン監督の「トゥモロー・ワールド」(原題 Children Of Men 2006年)には「ローマ」(2018年)の伏線のようなシーンがいくつか出てきました。

例えば、森、多くの動物、銃撃で倒れている人を抱え嘆いている女性、出産。そして極めつけが赤ちゃんです。「トゥモロー・ワールド」では赤ちゃんが重要なテーマとなっているわけですが、主人公が赤ちゃんを抱いてビルから出る時、兵士たちが武器を下ろして道を開けるというシーンはなにやらモーゼが海を割るような宗教的な色彩を帯びています。そして、「ローマ」でも主人公が子供を助け、海辺で抱擁するシーンは宗教的な絵画のような風情がありました。

そういえば「ゼロ・グラヴィティ」(2013)でも主人公が無重力の中で胎児のようになるシーンがあったように、キュアロンの中では赤ちゃんは再三登場させる重要なアイテムのようです(ちなみにキュアロンが製作者のひとりとして名を連ねる「パンズ・ラビリンス」にも出産シーンと赤ちゃんが登場する)。赤ちゃんは生まれてくることも大変なら、生まれてからも母親の庇護がなければ生きていけない弱い存在です。このあたりを考えると「ゼロ・グラヴィティ」は胎児が母親のおなかから出るまでを比喩として描いたような感もあります。

「ゼロ・グラヴィティ」でクルーニーが主人公を助けるために自ら犠牲になり、「トゥモロー・ワールド」では赤ちゃんを守るために多くの人々が死んで行ったように、赤ちゃんが生や希望、未来という前向きな象徴だとすれば、その裏側には常に暗い死や尊い犠牲が付きまとっています。「ローマ」ではその赤ちゃんは生まれる事は出来ませんでしたが、子供たちは死の淵から間一髪で引き戻されます。

死と生の冷酷な対比、荒野の中での消えそうな輝き、決して救済されることのない孤独感(「トゥモロー・ワールド」の主人公を助けるヒッピーのような元ジャーナリストの奥さんの設定は大変心に残る)、誰かの生のための代償としての誰かの死、私がキュアロン作品に感じることを強いて言葉にすればそんなところですが、ここまでキュアロンに惹かれる理由の正体はまだ自分でも正確に把握できないでいます。もしかすると言葉にできないなにかだからこそここまで惹かれるのかもしれません。いずれにしてもキュアロンの作品が1回観ただけでは解読できないほど多層なものが埋め込まれていることは確かなようです。

(「トゥモロー・ワールド」にキング・クリムゾンの音楽や、ピンク・フロイドのジャケットがモロに出てきた時は思わずにやりとしてしまいました。「ローマ」の予告編でもピンク・フロイドが使われていたし、キュアロンはプログレが好きなようです)



 

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