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 Nov 22,2022

■パブリックイメージ

 学生のころ、こんなことがあったんですよ。

友人に誘われて、あまり気乗りせずに行ったフォーク系の人のコンサート。その人はヒット曲もあり、一般的にも認知されている人でしたが、そのヒットが出てから2〜3年ぐらい経ってからのコンサートでした。音楽の傾向は静かな感じの抒情派フォークで、聴きに来ている人もそれを期待して来ていたのだと思います。

ところが、ステージになんとボクシングのリングのような物が出来ていて、その人はガウンを着たボクサーのコスチュームで出てきて、スパーリングのようなことを始めたのです。私も友人も含め観客が唖然としてしまったのは言うまでもありません。

おそらくこの人は自分のイメージを変えたくて、その結果がこのボクサーだったと思われますが、その後にまた以前の抒情派に戻ったので、これは一時の気の迷いだったのかもしれません。

もうひとつはある女性シンガーソングライターの例。その人もヒットがあり、アルバムも出せばチャートに入るというポシションでしたが、ある時、いきなり詞の傾向ががらりと変わったのです。

それまではいわゆるニューミュージックの王道的な内容だったのが、いきなり「黒の舟歌」のような重い詞になったのです。リスナーであった私もこれは驚き、それ以来、この人のアルバムを聴くことはなくなりました。

それほど受け手の強固になったパブリックイメージを壊すことは簡単ではないということではないでしょうか。黒澤明監督でさえ「どですかでん」で辛酸をなめたように、送り手の送り出すほぼ対極の2つのイメージのどちらも好意的に迎えるほど受け手は寛容ではないのだと思います。

ユーミンだって山下達郎さんだってこれはパブリックイメージと遠いなという曲はあります。ただし、それは決してシングルではなくアルバムの1曲として収めているので問題ないのだと。ビートルズでさえ'Tomorrow Never Knows'や'Revolution 9'みたいな曲がアルバム全編に収録されていたらうんざりするでしょう。

送り手が送り出し、受け手が好意的にそれを受け止める部分は案外狭く、ヒットというのはたまたまそれが合致したに過ぎないのではと思うこともあります。しかも受け手の気持ちは大変うつろいやすいもの。それを送り手が勘違いするとあらぬ方向へ行くのでしょう。これはおそらく送り手の慢心や思い上がり、自己愛のようなものも密接に関係しているかと。


 

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