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 Dec 10,2022

■スラバヤの謎解き

 先日、「スラバヤ殿下」(1955年)という古い日活のコメディ映画を観ていたら、劇中で森繁がインチキな?インドネシア語を話している中で「ラサ・サヤンゲ」という一節が出てきたのです。

「ラサ・サヤンゲ」はユーミンの「スラバヤ通りの妹へ」(1981年)に出てくるインドネシア語ですが、インドネシア民謡で「ラサ・サヤン」という曲があって、ユーミンは少女が歌ったこの曲について描いているというわけです。この民謡は踊りたくなるような明るい感じの曲で、「ラサ・サヤン」とは「愛する気持ち」という意味とのことです。

私は「スラバヤ通りの妹へ」の収録されている「水の中のASIAへ」というアルバムのジャケットを見た時に、これはインドネシアが日本の植民地になっていた時代に、オランダの公館を接収して日本の公館にして、ユーミンはそこに派遣された一等書記官の嫁というあたりの設定だろうと勝手に思っていました。ちなみに、成瀬己喜男監督の「浮雲」(1955年)という映画には、冒頭部にそんな描写(戦時中の仏印に派遣された官吏の森雅之とタイピストの高峰秀子が接収した豪奢な洋館で仕事をする)が登場しますが、ユーミンも有名なこの映画を観ていたかもしれません。

それにしても、ピーナッツの歌った「モスラの歌」(1961年)もインドネシア語だし、1950年代半ばあたりから1960年前半にかけて日本で南国ブーム?のようなものがあったのでしょうか。ダッコちゃんブームも1960年ですし、私が子供の頃に祖母の家で見たグラスには南洋の原住民のようなモチーフが描かれているものがあったのをよく覚えています。


 

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