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 Sep 3,2023

■谷崎とオリエンタルホテル

 谷崎潤一郎が横浜に住んでいた時代の随筆に、たびたび登場するのがオリエンタルホテル。

100年前の横浜に実在したこのホテルはどこにあったのだろうと興味を持ちました。ちなみに谷崎が横浜に住んでいたのは1921年から1923年の2年間で、最初は本牧(台風により家が倒壊)、次に山手に居を構えており、1923年の関東大震災がきっかけで関西に移住しています。

オリエンタルホテルという名称は、何度か引き継がれているようですが、谷崎が住んだ時期と符合するのは海岸通りにあったオリエンタルホテル(オリエンタルパレスホテル)だと思われます。現在、海岸通りというと、開港広場から神奈川県警の前を通って桜木町側に向かう通りを指しますが、100年前はまだ山下公園は存在していなかったので、現在の山下公園の前の道は海に面しており、そこが海岸通り(バンド)と呼ばれていました。

その海岸通11(山下町11)にあったオリエンタルパレスホテルがどうやら谷崎が書き残したオリエンタルホテルのようです。食通でもあった谷崎はこのホテルのレストランの洋食が好きだった模様。随筆には新年会に出るために谷戸坂を下りて、ウォーターストリートからグランドホテルの裏口へ行ったとの記述も。谷戸坂は山手町から山下町方面へ下りてくる坂道。ウォーターストリート(水町通り)は海岸通りの1本山側を並行に走る通り。

ただし、この2つのホテルも1923年の関東大震災で全壊します。谷崎は滞在していた箱根で被災、横浜へは帰らず、神戸の知人宅を頼った後に神戸から船で横浜へ帰宅。この際、乗った上海丸の船長が今武平(谷崎の秘書のようなことをしていた今東光の父)。この後に横浜で無事だった家族と共に関西へ移住するというわけです。谷崎の住んだ山手の家は、一部焼失したらしいですが、今も残っていることから倒壊は免れたようです。

ちなみにこの時代のグランドホテル(ニューグランドの前身)は現在の人形の家とメルパルク横浜があるあたりにあり、その隣の区画にオリエンタルホテル(現在のマリンタワーとマンションがある区画)がありました。

わずか2年の間に移住を余儀なくされるほどの天災に2度も襲われ、まるで谷崎は横浜に住むことをなにものかに拒まれているようですが、横浜時代の谷崎は多くの魅力的な仲間にも恵まれ、大変生き生きしているように見えます。残念なのは、谷崎がこの横浜時代に深く関わった4本の映画が1本も現存していないこと。淀川長治はこの内の1本をリアルタイムで観ているそう。


 

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