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 Nov 1,2023

■映画「放浪記」エピソード

 林芙美子の「放浪記」が原作の映画「放浪記」(1962年)は高峰秀子主演作の中でベスト5に入る名作だと思いますが、この撮影中に起こったエピソードを出演した宝田明と高峰がそれぞれの著書の中で触れています。

そのエピソードとは、宝田の出演シーンで成瀬己喜男監督が何度もNGを出して、煮詰まった宝田が高峰に教えを乞うと高峰が無情にも突き放したというもの。細かい文言の違いはありますが、宝田の著書(銀幕に愛をこめて)では高峰が「もったいないから教えてやんない」と言い、この態度に殴ってやろうかと思ったほど憤慨したとあります。一方、高峰の著書(忍ばずの女)では「教えてやんない。自分で考えな」と言い、先輩づらしてごちゃごちゃいうことはないと思ったと書かれています。

おそらく高峰はNGの理由が分かっていない宝田は器用な人だから教えればその通りに演技をしてOKテイクが撮れるだろう、けれど、それは自分で考えてそこへたどりつかないと役者としては失格だと瞬時に判断したのだと思うのです。つまり、高峰が言い放った「もったいない」の意味はこんな機会はそうざらにあることじゃないという意味だったのではとも。頭に血が上っていた宝田も後にこの高峰の趣旨に気付き、感謝したとあります。

もっと深読みすれば、この時の宝田の役は宝田にしてはめずらしい汚れの役で、高峰に対して嫉妬と憎しみが渦巻いているシーン。これをオフショットで高峰が宝田を邪見に突き放すことにより、その感情をうまく引き出したのかもしれません。さらに成瀬監督はわざと何度もNGを出して、宝田をリアルな卑屈状態に持っていたのではないかと。つまり、高峰と成瀬は特に口裏を合わせることなく、同じ完成形が見えていたのではないでしょうか。これがたぶん成瀬監督が高峰を何度も起用した理由でしょう。


 

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