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 May 1,2024

■食い荒らされた林檎

 冨と名声を手に入れたビートルズが1968年に立ち上げたのがアップル・コアという組織でした。

ビートルズはマネージャーのブライアン・エプスタインを失った後、全てを自分たちでコントロールしようとしてこの組織を作りました。当初の理想は高く、音楽はもちろん、映像、エレクトロニクス、服飾など扱う分野は多岐に渡りました。

ところが、かろうじてうまく行ったのは本業である音楽と映像に関することで、それ以外は全てうまくいかず、短期間で事業を畳むことになります。

その一端は映画「レット・イット・ビー」や「ゲット・バック」でも観ることができます。映画の後半部分にビートルズが作ったアップル・スタジオでのリハーサルのシーンがありますが、ここのコントロール・ルームの機材はほとんどがEMIスタジオからの借り物でした。機材を借りなければならなかった理由は、メンバーが信じて招き入れたエレクトロニクスの人間が革新的なレコーディングシステムを発明し導入すると言いながら、全く使い物にならなかったからです。ちなみにアップルはこの人物に当時の貨幣価値で30万ポンドの無駄な投資をしました。

このような例はアップル・コアの中では枚挙にいとまなく、ビートルズの冨を食いつぶすためだけに集まってきた無能な輩のなんと多かったことか。逆を言えば、それまで面倒臭いビジネス面の一切を引き受け、様々な悪意を持つ輩を排除し、ビートルズが音楽だけをやっていればよかった環境を作っていたエプスタインの仕事ぶりはなんと有能だったのでしょう。

つまり、ビートルズは大金持ちになってからも、まるで無菌室で培養されたかのようにラブ・アンド・ピースを信じ、理想のユートピアを夢見ていたのだと思います。ところが、蓋を開けてみればビューティフルだったはずの人々は欲深いだけのならずものだったというわけです。



 

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