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 Apr 25,2024

■ブルーノートの先進性

 1960年代前半のポップスのアルバムカバーがどんなデザインだったかといえば、多くが万人受けするようなアーティストの写真と大きなフォントのタイトルでした。

それが1960年代後半になると、カバーもひとつの表現の場だという解釈が生まれ、アートに近いようなデザインが続々と生まれました。UKでそのきっかけを作ったのはヒプノシスというデザイン集団で、グループ名もタイトルも表示されていないカバーに牛の写真を使ったピンクフロイドの「アトム・ハート・マザー」(1970年)はそれ以降のカバーデザインのひとつの方向性を示しました(下写真は「アトム・ハート・マザー」とトゥリーズ「オン・ザ・ショア」 1970年 ともにヒプノシスのデザイン)。


 ところが、ジャズの世界では1950年代にすでにカバーはアートの表現の場であるという認識が浸透していたようです。例えば、有名なブルーノート・レーベルのカバーデザインは今見ても素晴らしいと思えるものが少なくありません。アンディ・ウォーホルがレコードカバーで世界的に有名になるのはヴェルヴェット・アンダーグラウンドのバナナアルバムと呼ばれるデビューアルバム(1967年)からだと思いますが、実は、その10年前すでにウォーホルはブルーノートで相当良い仕事をしていました(下写真はケニー・バレルの「ブルー・ライツ」1958年 ともにウォーホルのイラスト)。内容やプレイヤーとは関係なく、カバーがまるで独立した表現の場であるようなこの女性のイラストはその後のポップ・カルチャーやヒプノシスの表現方法の原点ではなかったのでしょうか。


 

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