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 Feb 8,2025

■ユーミンを聴かなかった頃

 ユーミンの4枚目のアルバムぐらいまでは、今でもほとんどの曲を歌うことができるぐらい聴き込みましたが、1980年代の後半あたりでしょうか、次第に新作を聴かなくなったのです。

その理由は自分の作風が過度に影響されることを避けたかったのだと思います。実際に松任谷正隆氏や新川博氏などユーミン界隈の方々と仕事をする機会もあり、意識的に遠ざかったような気もします。ところが、曲の発注を受ける時に、ディレクターからストレートにユーミンをやりたいというオーダーや、極端な例で言えば、ユーミンのあの曲とピンポイントで指定までしてくるケースもあったんですよ。

作詞家もそのようなピンポイントなオーダーは結構あったと聞きましたし、できあがった詞を見て、ああ、これはユーミンのあの曲の換骨奪胎だなと思うこともよくありました。ちなみに1980年代に出てきた職業作詞家の中で、私の知る限り、ユーミンの影響を受けていない人は稀有だったはず。逆にユーミンを知らなければ、仕事の範囲は相当限定されたと言ってもよいかもしれません。

そんなわけで1990年代、2000年代は耳に自然に入ってくるもの以外、ほとんどユーミンを聴いていなかった時代でした。その時期には、ユーミンはもう終わったとか、あまりにブームになった揺り返しでアンチの意見が目に付く時期もありましたが、特に気にすることもなく静観していました。

で、最近、聴いていなかった時期のユーミンをたまに掘り起こしているのです。その昔、秋の自室でひっそりと聴いたユーミンの聴き方とはだいぶ異なり、すれた聴き方になったとは思いますが(笑)、やはり、がつーんと来る部分があり、どんな時代にあっても、ユーミンはユーミンだったのでした。むしろバブリーな時代の気負いがなくなり、感性が研ぎ澄まされた印象さえ受けます。そのうちの一つをあえて言葉で言うなら、滅んで行くものに対しての思いみたいなものでしょうか。昔からユーミンにはそんな諸行無常で、デカダンスな世界はありましたが、現在進行形の恋愛ものがすでにメインのテーマではなくなった今、より内省的になり、終わりを見据えて書いているような世界は深みが増したなぁと思うのでした。

追記〜ユーミンのアルバム「紅雀」が吉屋信子の同名小説から来ていることはよく知られていると思いますが、吉屋に「COBALTの君」という作もあり、これもアルバム「COBALT HOUR」の元だったのかなと。

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