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 Feb 21,2025

■戦艦大和の最期

 戦艦大和に学生出身の若い士官として搭乗し、生還した吉田満の手記。終戦になってから吉川英治に促され、一晩で書き上げ、1946年に発表されるはずだったその初稿はGHQの検閲により全文が削除されたということです。

この本が他の戦記と違うのは、戦闘そのものの経緯よりも乗務員の心情が色濃く描かれている点。士官クラスであれば、当然、この戦争が負け戦であることを認識していたはず。ほぼ沈められることを分かっていながら、それでも戦うというそのアンビバレントの心の置き所は、やはり将来の日本への希望だったようです。つまり、終戦後の新しい日本のために、自分たちが捨て石になろうということであったと。ここで、「喜んで」などという形容詞が付くと美談的傾向が強くなりますが、おそらく、これはある種の諦観とともに淡々と語られたのだと思います。

このような自己犠牲のスタンスにはおそらく右も左もなく、国によっての考え方も超えて、尊いものだと私は思います。ところが驚いたことに、この作が発表された当初は戦争肯定や軍国主義鼓舞という批判が少なからずあったそうです。あまりに惨敗した戦争の揺り返しとして、戦後、そのような論調が跋扈したのは理解できますが、平時の目線で有事である戦争というものを批判するのは全くフェアではないし、この作をよく読めば決して戦争を肯定する意図で書かれていないことが分かります。

聖戦なので戦い抜きましょうというスローガンを信じるほど人間は単純ではなく、そこには多くの逡巡や諦観や、生き続けるという動物の本能を越えたなにものかがあったのは自明で、作者はそれを書き残して置きたかったのだと、私は感じました。

追記1〜この作を原作とした映画に「戦艦大和」(新東宝 1953年)がありますが、この撮影の際、横須賀に寄港していた米戦艦ミズーリを使えないかと映画会社が米海軍の高官へ打診すると意外にもOKが出たのだそう。ミズーリと大和の正面から見たフォルムは非常によく似ており、映画スタッフも狂喜したとのこと。ただし、ここで映画会社に欲が出て、菊の紋章を艦首につけたいと言った途端、服役中の米艦隊旗艦にそれはならぬと話がご和算になったということです。ミズーリといえば日本降伏の調印の舞台となった戦艦、いくら映画とはいえ、それを大和に見立てるとはあまりに自虐的だと思われるので、このどんでん返しは結果的に良かったのだと思います。

追記2〜戦後間もない時期に書かれ、同じくGHQにより全文削除となった戦記に大岡昇平の「俘虜記」がありますが、これには大岡が戦友と軍隊から脱走しようとかなり具体的な計画を立てていたことが書かれています。大岡は30代の兵隊で陸軍、吉田は20代の士官で逃げ場のない船の上という違いはあるものの、軍隊の中には大岡のような考えを持つ人もいたという点で興味深いのです。


 
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