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 Mar 5,2025

■追悼 曽野綾子さん

 2020年に刊行された石原慎太郎氏と曽野綾子氏の対談。テーマは死について。この時、87歳の石原さんはすでに体調を崩していて、様々な体の不調と戦っていました。88歳の曽野さんも何度か骨折をしたり、持病もあるという状態です。

このおふたりの死の考え方は正反対で、全くかみ合っていないのです(かみあわないから対談が面白いのです)。石原さんは最後まで死に抗おうと懸命に努力し、曽野さんはある意味、死について達観しています。例えば、こんなふうに。

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石原 略)今はもう、すぐそこにある”死”というものを、そのものを直に感じるようになった。毎日ね、絶えず自分の死を考えています。

曽野 困ります?

石原 えっ?

曽野 死んだら。何か困ります?

石原 いや、死ぬのはつまらんでしょう。死にたくはないですね。死というものが何だか分からないから、死んでも死にきれないのです。むろん、命に限りがあることは分かっている。しかし、死の実体というものは分からないでしょう。

曽野 知ったらどうなります?

石原 知れば、納得がいくでしょう。少なくとも、未知のものではなくなる。僕は無性に知りたいんだな。しかし誰も知らないし、教えてくれる人もいませんしね。

曽野 帰ってきたという人に、逢ったことはまだありませんね。


「死という最後の未来」より抜粋
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私が常々石原さんに対してすごく意外だと思っていたことは、この方、宗教全般に対してとても造詣が深いのです。仏教はもちろんのこと、いわゆる新興宗教についても教祖と実際に会うなどかなり真剣に分析していて、1960年代には「巷の神々」という著書まで残しています(今はレア本となったこの本、数年前に入手し、読みました)。しかも、霊とか幽霊とか不思議な実体験も含め、人間の不可知な世界をはっきり肯定しているのです。一方、曽野さんは幼稚園から大学までミッションの環境で育ち、カトリック教徒ですが、そういうこともあるだろうというある種、静観したスタンスです。石原さんが分からないものはとことん突き詰めなくては気が済まないタイプなのに対し、曽野さんは分からないものは答えを出さずに、そのまま放っておくことのできる方のようです。

死後のことについても、辞世の句をすでに作り、自分の灯台や記念碑を建てろと息子に命じたという石原氏に対して、自分のこれまで書いた自筆原稿を焼き、写真は50枚ぐらい残して全て焼いたという曽野氏。死んでからも自分の存在をこの世に残そうとする石原氏に対して、曽野氏の死後に対する考え方の恬淡さはどうでしょう。私は圧倒的に曽野さんの考え方に共感を持ちます。


 
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