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 May 5,2025

■「颱風圏の女」と「晩春」

 どちらも原節子が出演している映画ですが、小津安二郎監督の「晩春」(1949年)は名作としてたびたび取り上げられますが、「颱風圏の女」(1948年)の方はほとんど語られることはありません。

原はこの時期にかなり幅のある役をやっており、「颱風圏の女」の役はギャングのトップの情婦という汚れ役です。ちなみに黒澤明監督の「わが青春に悔いなし」(1946年)では大学教授の娘として生まれながら、その自由主義の思想のために迫害され、後半は農婦となるという役。原が髪を乱して、杉村春子と農作業をする姿は原の出演作の中でもかなりめずらしいシーンです。さらに、黒澤監督は原を再度起用し、ドストエフスキー原作の「白痴」(1951年)を撮ります。これでも原は政治家の囲い者の毒婦で、最後は刺されて死んでしまうという役。

この時期の原の出演した代表作を時系列に追っていくと、

「わが青春に悔いなし」(1946年)→「安城家の舞踏会」(1947年)→「颱風圏の女」(1948年)→「お嬢さん乾杯」(1949年)→「青い山脈」(1949年)→「晩春」(1949年)→「白痴」(1951年)→「麦秋」(1951年)→「東京物語」(1953年)

これだけ見ても、原が戦後から10年の間にいかに名作に出演していたかが分かるのですが、小津監督の作品(「晩春」「麦秋」「東京物語」)が原本人のキャラクターを尊重して脚本を組み立てているように見えるのに対し、黒澤監督はまず脚本が最初にあり、そこに原を無理やりにでもあてはめているのは興味深い点です。黒澤監督は女性を描くのは苦手と言われていますが、いくら黒澤作品といえども「わか青春に悔いなし」は戦後間もない頃の左翼偏向という強いイデオロギー色のために現在ほとんど語られることはなく、「白痴」に至っては本来4時間超であった作品を、映画会社の要請で3時間台にカット編集され、客入りが悪かったためにさらに再度2時間台に編集されたという曰く付きの作品です(このオリジナル完全版がいつか発見されますように!)。ただし、私は「白痴」の原の美しさは際立っており、一連の小津の作品よりも美しさのインパクトという点では勝っていると思っています。ちなみに私は美人は、笑っている時が美しいタイプと、表情のない方が美しいタイプの2タイプがあると思っていますが、原は圧倒的に後者だと思います。

もう一度、「颱風圏の女」に戻ると、この作は原をそれまでのイメージとは真逆の役に設定し、このタイトル通りそれを一番のセールスポイントにしたのは明白です。前年の作、「安城家の舞踏会」の没落する華族の娘(「お嬢さん乾杯」もほぼ同じ設定)のようなイメージから、180度転換してギャングの情婦の役は原の清純なイメージでファンになっている人々も興味を持ったはずです。けれど、この作品が山村聰という一流どころもあてがっても、エログロ期の新東宝作品のようなプログラム・ムービー・テイストに甘んじたのは、ひとえに原が作品全体のなにかをスポイルしているからではないでしょうか。

原は杉村春子や高峰秀子のようにどんな役でもオールマイティにこなせる女優ではないので、原の守備範囲以外の役で使われると作品そのものの未熟さや、監督の思い違いが冷酷に露呈されてしまう結果となるのでしょう。そういう意味で原は作品のウィークポイントを期せずして披歴させてしまう怖い女優なのかもしれません。

さて、実はここからが本題。「颱風圏の女」でその責任感の強さに最後には原が心を動かされる測候所の気象官は宇佐美淳で、この人、翌年の小津作品の「晩春」にも出演しているんですよ。宇佐美の役は原の父親である笠智衆の助手で、原とは結婚にまでは至らないもののお互いに好意を持っていて、原と楽しくサイクリングをするシーンがあるんです。深読みすれば、「颱風圏の女」では最後に改心した原が宇佐美をかばって撃たれて死ぬというバッドエンドですが、その同じ配役のハッピー・バージョンを小津が「晩春」に挿入して、原のイメージを回復しようとしたというのは考えすぎでしょうか。私には小津監督が偶然、このようなキャスティングをしたとは思えないのです。


 
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