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■ビートルズのターニングポイント ビートルズの重要なターニングポイントは途中から音楽的なイニシアチブを取るのがジョンからポールへ移ったことだと思います。 1962年のデビューから1970年までイギリスでリリースされたシングルは22枚で、その内、前半の11枚のA面は'Can't buy me love'と'We can working out'を除いてほぼジョン主導の曲。それに対し、後半11曲はジョンの'Strawberry fields forever'、'All you need is love'、'The ballad of John and Yoko'とジョージの'Something'以外、全てポールの曲です。 ジョンは1966年にはすでにそれまで書いてきたようなポップな曲は書かなくなっており、新しい作風を模索していました。それがこの年の末からレコーディングの始まる'Strawberry fields forever'でした。ただし、この曲はテンポもキーも全く異なる未完成な2曲をレコーディング上のギミックにより繋げ、1曲に仕上げた曲でした。プロデューサーのジョージ・マーティンはこの曲の製作工程がいかに大変であったことをたびたび語っていますが、私には半ばポップソングを書くことに飽きたジョンのラフスケッチを化学調味料によって無理やり料理として仕上げたとしか思えないのです。その化学調味料の中にはメロトロンやテープの逆回転、スピード調整などいかにもジョンが飛びつきそうな新しい手法がありました。リスナーの戸惑いは1963年以降続いていたビートルズのUKシングルチャートの1位の記録がこの曲で中断したことにも現れていると思います。 さらに、ジョンのソングライティングのモチベーションを下げたのはポールの'Yesterday'の存在です。1965年に書かれたこの曲をジョンが聴いて、おそらく自分にはこれは書けないと思ったはず。そこで新しいテクニック、例えば、'Tomorrow never knows'のワンコードや、'All you need is love'の変拍子や、'I am the walrus'のような過剰なコード変化や、様々な楽器、エフェクトを厚塗りしても、1964年にはうまくいったことが、なにかうまく着地できない。結局、もうこのアバンギャルド方面の模索は辞めてシンプルなロックンロールに戻ったのが'Revolution'や'Yer blues'ではなかったのでしょうか。私はこの時代のジョンとポールを見ていると、ひたすらポップスの王道を極めようとするポールと、迷走しているジョンという構図が見えて仕方ないのですが。 思えば、ジョンの存在感が希薄となるのはアルバム'Sgt. Pepper's'からで、あれはまさしくポールの描いた世界と言っても良く、あれが中期ビートルズを代表する作になった時にジョンのビートルズに対してのモチベーションが著しく低下したのは想像に難くありません。ジョンの'Sgt. Pepper's'に対する冷淡な評価もそれを証明しています。その後、ヨーコさんにどっぷりと傾倒したのもビートルズがすでに自分のものではなくなりつつあるという渇きが背景にあったのかもしれません。 さらにポールの優位は1968年の'Hey jude'で決定的になり、ビートルズはポールのものとなりました。ゆえに翌年のゲットバック・セッションでポールひとりがなんとかビートルズを立て直そうとしているのは当たり前というわけです。ジョージの曲でポールが異常にがんばってしまうのも、ビートルズの曲として世に送り出すにはここまでやらなければダメという使命感からだったと思います。実質的なラストアルバム'Abbey Road'で、すでにスタジオにさえ来なくなったジョンの曲の断片をまとめあげ、ビートルズの最終作として世に出すために孤軍奮闘したのもポールでした。ただし'Come together'はいくらポールが手を入れてもチャック・ベリーが元ネタであることは隠せませんでしたが。 もうひとつ、1966年ぐらいまでのビートルズがプライベートな旅行まで一緒に行くぐらい仲が良いのは、あの過酷なワールドツアーがあったからではないでしょうか。ホテルで缶詰になったり、護送車に乗せられたり、空港で豪雨の中を車の屋根に乗せられたりという普通の生活では経験することのない過酷さを共有したという連帯感が親密な仲間意識となっていたような気がします。その証拠にツアーを辞めた途端、ビートルズの人間関係はあやしくなるのですから。
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